2016年 09月 23日
9月4日礼拝説教要約 |
「私の隣人は」(ルカ10章25~37節)
牧師 紺野 真和
エルサレムからエリコに向かう途中ユダヤ人が強盗に襲われた。そこを祭司やレビ人が通りかかった。すると彼らは反対側を通り過ぎて行った。理由は記されていない。でも想像する。彼らは、強盗に襲われた人を助けることで面倒を抱えたくないと思ったのかもしれない。ただ、その時彼を助けることから逃げるためにもっとらしい理由を考えたであろう。当時、死体に触れることは汚れるとされた。この人はまだ死んではないが、半殺しにあっているのでもうすぐ死ぬだろう。死体に触れて汚れた者となってはいけないと考え、見て見ぬふりをしたのだろう。次にサマリヤ人がやって来た。彼は、強盗に襲われた人をかわいそうに思い、手当てをし、宿屋に連れて行き介抱し、次の日宿屋の主人にお金を払い介抱してあげてくださいと言った。サマリヤ人ももっともらしい理由を考え、道の反対側を行くことができた。それは、当時サマリヤ人はユダヤ人から軽蔑されていたというものである。それは根が深いものであった。しかし彼はユダヤ人を助けた。祭司やレビ人とサマリヤ人を分けたものは何か。憐みの情である。この箇所の中心の言葉は「かわいそうに思い」(33)である。イエス様はこの思いをとても大切にされていた。ご自身この思いから行動し、また律法に縛られている律法学者に、「わたし(神)は、あわれみを好むがいけにえは好まない」と話された。私たちはどうか。憐れみ深い者であるか。どのような者が憐れみ深く、その思いによって行動できるのか。1、同じ苦しみにあった人、あるいは想像力をもって他者の苦しみを覚える人。2、あわれみを受けた人。3、自分には憐みの心がないと知っている人(ローマ書7、8章参照)。私達一人一人命令だからと強制されてではなく、憐れみの心をもって隣人を愛そう。
牧師 紺野 真和
エルサレムからエリコに向かう途中ユダヤ人が強盗に襲われた。そこを祭司やレビ人が通りかかった。すると彼らは反対側を通り過ぎて行った。理由は記されていない。でも想像する。彼らは、強盗に襲われた人を助けることで面倒を抱えたくないと思ったのかもしれない。ただ、その時彼を助けることから逃げるためにもっとらしい理由を考えたであろう。当時、死体に触れることは汚れるとされた。この人はまだ死んではないが、半殺しにあっているのでもうすぐ死ぬだろう。死体に触れて汚れた者となってはいけないと考え、見て見ぬふりをしたのだろう。次にサマリヤ人がやって来た。彼は、強盗に襲われた人をかわいそうに思い、手当てをし、宿屋に連れて行き介抱し、次の日宿屋の主人にお金を払い介抱してあげてくださいと言った。サマリヤ人ももっともらしい理由を考え、道の反対側を行くことができた。それは、当時サマリヤ人はユダヤ人から軽蔑されていたというものである。それは根が深いものであった。しかし彼はユダヤ人を助けた。祭司やレビ人とサマリヤ人を分けたものは何か。憐みの情である。この箇所の中心の言葉は「かわいそうに思い」(33)である。イエス様はこの思いをとても大切にされていた。ご自身この思いから行動し、また律法に縛られている律法学者に、「わたし(神)は、あわれみを好むがいけにえは好まない」と話された。私たちはどうか。憐れみ深い者であるか。どのような者が憐れみ深く、その思いによって行動できるのか。1、同じ苦しみにあった人、あるいは想像力をもって他者の苦しみを覚える人。2、あわれみを受けた人。3、自分には憐みの心がないと知っている人(ローマ書7、8章参照)。私達一人一人命令だからと強制されてではなく、憐れみの心をもって隣人を愛そう。
by ybible63
| 2016-09-23 09:43
| ★礼拝説教要約