2016年 08月 26日
7月24日説教要約 |
わしの翼にのせて救い出す<出エジプト19:1~8>
牧師 鳥居 完次
聖書は「愛の書」、どこを開いても「愛」が登場。その事実を<出>から確かめたい。その出来事は「いのちの回復」(救い)の出発・原点、キリストの贖いのわざの原風景である。
1.過越の羊がほふられる<出12:12~13>。イスラエルの民が出エジプトする直前‥‥彼らの子が死をまぬかれたのは、信仰によって行った過越の犠牲(主の贖い)の故であった。
2.紅海が割れてその乾いたところを渡る<出14:13~14>。前は葦の海、後ろからエジプト軍の精鋭戦車隊が迫る絶体絶命の状況‥‥モーセが差し出した杖によって海が割れた。これこそ、神が一切を行ってくださった救い(罪の奴隷から脱出できた主の贖い)の原風景。
3.シナイ山での契約締結<出19:1~8>。ここで注目させられることは、出エジプトの出来事をひとくくりにし「あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来た」<4>と描写されていることである。①翼で覆われた卵から雛がかえり、②翼に載せ(るようにし)て雛が巣立つという様子が、キリストの贖いに重ねられているようだ。特にこのシナイ契約に「律法」が付随していたことは、②の内容をより感動的にしている。即ち、今やキリストの贖いの実現によって、「律法」は信仰者の心に書かれている。故に、「石に書かれた『律法』を手離せ」と主は言われる。確かにその通り、神の御国を自由に舞いかけることができる。とは言え、現実は肉体の衰えは止められず、最終的には力尽きて地に落ち、信仰者とて墓の穴に下る。が、それより下にくだることはない。死んで墓に葬られ、しかし、三日目に死人のうちよりよみがえられた主イエス・キリストの翼に載せられて、救い出されるからである。
牧師 鳥居 完次
聖書は「愛の書」、どこを開いても「愛」が登場。その事実を<出>から確かめたい。その出来事は「いのちの回復」(救い)の出発・原点、キリストの贖いのわざの原風景である。
1.過越の羊がほふられる<出12:12~13>。イスラエルの民が出エジプトする直前‥‥彼らの子が死をまぬかれたのは、信仰によって行った過越の犠牲(主の贖い)の故であった。
2.紅海が割れてその乾いたところを渡る<出14:13~14>。前は葦の海、後ろからエジプト軍の精鋭戦車隊が迫る絶体絶命の状況‥‥モーセが差し出した杖によって海が割れた。これこそ、神が一切を行ってくださった救い(罪の奴隷から脱出できた主の贖い)の原風景。
3.シナイ山での契約締結<出19:1~8>。ここで注目させられることは、出エジプトの出来事をひとくくりにし「あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来た」<4>と描写されていることである。①翼で覆われた卵から雛がかえり、②翼に載せ(るようにし)て雛が巣立つという様子が、キリストの贖いに重ねられているようだ。特にこのシナイ契約に「律法」が付随していたことは、②の内容をより感動的にしている。即ち、今やキリストの贖いの実現によって、「律法」は信仰者の心に書かれている。故に、「石に書かれた『律法』を手離せ」と主は言われる。確かにその通り、神の御国を自由に舞いかけることができる。とは言え、現実は肉体の衰えは止められず、最終的には力尽きて地に落ち、信仰者とて墓の穴に下る。が、それより下にくだることはない。死んで墓に葬られ、しかし、三日目に死人のうちよりよみがえられた主イエス・キリストの翼に載せられて、救い出されるからである。
by ybible63
| 2016-08-26 09:44
| ★礼拝説教要約