2016年 07月 07日
5月15日礼拝説教要約 |
「聖霊に満たされて」(使徒2章1節~4節)
牧師 紺野真和
キリスト教会で大切にしている日が三つある。クリスマス、イースター、ペンテコステ(聖霊降臨日)である。ヨエルの預言の通り、2000年前に120名の信者の上に聖霊が降り聖霊に満たされた。その日以来、信じるすべての人々の上に聖霊が与えられる。私たちは聖霊が与えられることだけで留まるのではなく、聖霊に満たされる必要がある。なぜか。
第一に福音を伝えるためである。私たちは福音を伝える時、臆しやすい者である。しかし、イエス様は「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして・・・わたしの証人となります。」と言われた。私たちは福音宣教を自分の力によってではなく、聖霊の力によってなすことができる。
第二は奉仕するためである。私たちは聖霊の賜物が与えられている。しかし、聖霊の力なしでは、イエス様のタラントの譬話にでてくる、何も用いないで土に埋めてしまう僕のようになってしまうだろう。そうではなく、聖霊の力によって仕えるなら、10タラント、5タラントもうけた僕のようになる。私たちは聖霊の力によって奉仕ができる。
第三は罪に打ち勝ち生きるためである。私たちは自分の力で罪に打ち勝つことはできない。それはパウロが告白している通りである。「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。」しかし、パウロは罪に打ち勝つ秘訣を知らされた。「いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」私たちは、聖霊の力によって、善を行って生きていくことができる。
私たち一人一人、聖霊に満たされることをひたすら求め、聖霊と共に歩んで行こう。
牧師 紺野真和
キリスト教会で大切にしている日が三つある。クリスマス、イースター、ペンテコステ(聖霊降臨日)である。ヨエルの預言の通り、2000年前に120名の信者の上に聖霊が降り聖霊に満たされた。その日以来、信じるすべての人々の上に聖霊が与えられる。私たちは聖霊が与えられることだけで留まるのではなく、聖霊に満たされる必要がある。なぜか。
第一に福音を伝えるためである。私たちは福音を伝える時、臆しやすい者である。しかし、イエス様は「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして・・・わたしの証人となります。」と言われた。私たちは福音宣教を自分の力によってではなく、聖霊の力によってなすことができる。
第二は奉仕するためである。私たちは聖霊の賜物が与えられている。しかし、聖霊の力なしでは、イエス様のタラントの譬話にでてくる、何も用いないで土に埋めてしまう僕のようになってしまうだろう。そうではなく、聖霊の力によって仕えるなら、10タラント、5タラントもうけた僕のようになる。私たちは聖霊の力によって奉仕ができる。
第三は罪に打ち勝ち生きるためである。私たちは自分の力で罪に打ち勝つことはできない。それはパウロが告白している通りである。「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。」しかし、パウロは罪に打ち勝つ秘訣を知らされた。「いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」私たちは、聖霊の力によって、善を行って生きていくことができる。
私たち一人一人、聖霊に満たされることをひたすら求め、聖霊と共に歩んで行こう。
by ybible63
| 2016-07-07 17:11
| ★礼拝説教要約