2016年 04月 13日
4月3日説教要旨 |
祈られることは祈ること <ローマ16:1~16>
牧師 鳥居 完次
<ローマ16章前半>は諸兄姉へのあいさつ部分で、一見無味乾燥に思われる。しかし、その内容に深く分け入ってみると、そこに実にたくさんの宝を発見する。<13>に注目したい。
1.主にあって選ばれた人ルポスによろしく<13a>。<マルコ15:21>に、「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人がいなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架をむりやりに彼に背負わせた」とある。ルポスの父は主イエスの十字架をむりやり背負わせられたクレネ人シモンであり、カルバリへの路上での主イエスとの出会いが、シモンを、そしてその家族の生涯を永遠に変えることになったと思われる。
2.また彼と私の母によろしく<13b>。パウロはあの劇的な回心の後、バルナバと共にアンテオケ教会の基礎を築き上げたが、そこに先輩教師の「ニゲル(肌の浅黒い)と呼ばれるシメオン(シモン)」がいた<使13:1>。これが例のクレネ人シモンと考えられ、パウロはこのときシモンの家(の教会)に寄宿生活し、シモンの妻(ルポスの母)がまるでパウロの母のような役をしていたと想像できる。いずれにせよ、確かにパウロは祈りの人であった。しかし、その背後にはパウロ自身が「祈られていた」ことに尽きる。それは、何よりも復活の主ご自身からであり、バルナバから、更には当然ルポスの父母からでもあろう。それ故、パウロが祈りの人である理由は、彼が「祈られていた」からであり、それを恵みとして受けとめ、素直に応答した(祈った)からである。この真理はすべての人に重なる。なんと自分の知らないところで、主にあって祈られている(いた)ことか。その多さに今更ながら驚く。
牧師 鳥居 完次
<ローマ16章前半>は諸兄姉へのあいさつ部分で、一見無味乾燥に思われる。しかし、その内容に深く分け入ってみると、そこに実にたくさんの宝を発見する。<13>に注目したい。
1.主にあって選ばれた人ルポスによろしく<13a>。<マルコ15:21>に、「そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人がいなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架をむりやりに彼に背負わせた」とある。ルポスの父は主イエスの十字架をむりやり背負わせられたクレネ人シモンであり、カルバリへの路上での主イエスとの出会いが、シモンを、そしてその家族の生涯を永遠に変えることになったと思われる。
2.また彼と私の母によろしく<13b>。パウロはあの劇的な回心の後、バルナバと共にアンテオケ教会の基礎を築き上げたが、そこに先輩教師の「ニゲル(肌の浅黒い)と呼ばれるシメオン(シモン)」がいた<使13:1>。これが例のクレネ人シモンと考えられ、パウロはこのときシモンの家(の教会)に寄宿生活し、シモンの妻(ルポスの母)がまるでパウロの母のような役をしていたと想像できる。いずれにせよ、確かにパウロは祈りの人であった。しかし、その背後にはパウロ自身が「祈られていた」ことに尽きる。それは、何よりも復活の主ご自身からであり、バルナバから、更には当然ルポスの父母からでもあろう。それ故、パウロが祈りの人である理由は、彼が「祈られていた」からであり、それを恵みとして受けとめ、素直に応答した(祈った)からである。この真理はすべての人に重なる。なんと自分の知らないところで、主にあって祈られている(いた)ことか。その多さに今更ながら驚く。
by ybible63
| 2016-04-13 17:20
| ★礼拝説教要約