2016年 04月 08日
3月20日説教要約 |
ポンテオ・ピラトのもとに<ヨハネ19:1~16>
牧師 鳥居 完次
キリストの受難については、主日毎に「使徒信条」の中で確認されている。それにしても、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け‥‥」と唱えることにどういう意味があるのか。
1.主イエス・キリストとピラトの共通性。ピラトが、<ルカ8:1>のごとくローマ皇帝テベリオの統治下でユダヤの総督であったことは、歴史が証明する事実である。その意味で、使徒信条にそのポンテオ・ピラトという名が登場することによって、私たちが告白する主イエス・キリストご自身が、まさに人類の歴史のただ中に入って来られた方であることが分る。
2.主イエス・キリストとピラトの対照性。それを解く鍵は「引き渡す」である。確かに、ピラトの罪は主イエスを大祭司カヤパたちに「引き渡した」ところに象徴されている<16>。しかし、それは大祭司カヤパが主イエスをピラトに「渡した」ところにこそある<11>。実は、ここに罪の本質がある。即ち、神の真理(主イエス)を認めているにも拘らず、それを歪め、しかもその責任を他になすりつけていく――それは結局、アダムとエバに遡る。が、しかし、このアダムから連綿と続く罪を全部引き受けてくださった方がいる。まさに、アダムで代表される罪を全部引き受けて、死(十字架)に「渡されて」行かれたお方、主イエス・キリストである。このお方こそ、罪人の私たちすべての罪を贖うために世に遣わされた方、救い主イエス・キリスト(「最後のアダム」<Ⅰコリ15:45>)である。つまり、神がご自分の御子をさえ惜しまずに死に「渡された」ところに、神の絶対的な愛がある<ローマ8:32、ヨハネ3:16>。その愛を喜んで受け取る信仰(告白)をもって、しっかり応答していきたい。
牧師 鳥居 完次
キリストの受難については、主日毎に「使徒信条」の中で確認されている。それにしても、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け‥‥」と唱えることにどういう意味があるのか。
1.主イエス・キリストとピラトの共通性。ピラトが、<ルカ8:1>のごとくローマ皇帝テベリオの統治下でユダヤの総督であったことは、歴史が証明する事実である。その意味で、使徒信条にそのポンテオ・ピラトという名が登場することによって、私たちが告白する主イエス・キリストご自身が、まさに人類の歴史のただ中に入って来られた方であることが分る。
2.主イエス・キリストとピラトの対照性。それを解く鍵は「引き渡す」である。確かに、ピラトの罪は主イエスを大祭司カヤパたちに「引き渡した」ところに象徴されている<16>。しかし、それは大祭司カヤパが主イエスをピラトに「渡した」ところにこそある<11>。実は、ここに罪の本質がある。即ち、神の真理(主イエス)を認めているにも拘らず、それを歪め、しかもその責任を他になすりつけていく――それは結局、アダムとエバに遡る。が、しかし、このアダムから連綿と続く罪を全部引き受けてくださった方がいる。まさに、アダムで代表される罪を全部引き受けて、死(十字架)に「渡されて」行かれたお方、主イエス・キリストである。このお方こそ、罪人の私たちすべての罪を贖うために世に遣わされた方、救い主イエス・キリスト(「最後のアダム」<Ⅰコリ15:45>)である。つまり、神がご自分の御子をさえ惜しまずに死に「渡された」ところに、神の絶対的な愛がある<ローマ8:32、ヨハネ3:16>。その愛を喜んで受け取る信仰(告白)をもって、しっかり応答していきたい。
by ybible63
| 2016-04-08 15:23
| ★礼拝説教要約