2016年 04月 08日
3月13日説教要約 |
祭司の務めを果たすために<ローマ15:22~33>
牧師 鳥居 完次
「祭司の務めを果たす」、これこそパウロがこれまで力説してきたことの、パウロ自身の生き方への表れである。本日の主題は、その祭司の務めを果たすに必要な「祈り」である。
1.祈りの課題<31~32>。「祈り」とは、まことの神の御前に出る(神と交わる)ことであるが、今やすべてのキリスト信者は、主の十字架と復活の贖いの故に主イエス・キリスト(の御名)によってまことの神と直接交わることができる。それ故に、パウロはこの祈りの要請を「主イエス・キリストによって」<30>切に願っているのである。その意味では、主の御名によって祈る(れる)ことこそ、神と人との仲介者(祭司)の務めの中心である。
2.祈りの結果<使21章以降>。パウロがこの手紙を書き送った3年後、ローマを見たい<22>というパウロの願いはついに実現した。しかし、その実現の方法は、彼がこの手紙を書いた時には全く予期しないものであった。なんと、パウロは囚人としてローマへ護送され、最後はローマで殉教した。一見、祈りに応える神が不在のように見えるが、しかし、神は愛である。本来、私たちはこの神(唯一、独自)の愛を、そのまま受け止めることができる者として造られた。しかし、罪によってそれが分らなくなってしまった。故に、神はその神の愛を届けてくださる唯一の仲介者として、主イエスを遣わしてくださった。主こそ、そのとおり叶えられない祈りをとことん理解し、同情してくださる完全な大祭司、まことの愛なるお方。故に、パウロはこのキリストの「愛によって」<30>祈りの要請をしたのである。私たちも、愛によってとりなしの祈りをささげ合う「祭司としての務め」を果たしていきたい。
牧師 鳥居 完次
「祭司の務めを果たす」、これこそパウロがこれまで力説してきたことの、パウロ自身の生き方への表れである。本日の主題は、その祭司の務めを果たすに必要な「祈り」である。
1.祈りの課題<31~32>。「祈り」とは、まことの神の御前に出る(神と交わる)ことであるが、今やすべてのキリスト信者は、主の十字架と復活の贖いの故に主イエス・キリスト(の御名)によってまことの神と直接交わることができる。それ故に、パウロはこの祈りの要請を「主イエス・キリストによって」<30>切に願っているのである。その意味では、主の御名によって祈る(れる)ことこそ、神と人との仲介者(祭司)の務めの中心である。
2.祈りの結果<使21章以降>。パウロがこの手紙を書き送った3年後、ローマを見たい<22>というパウロの願いはついに実現した。しかし、その実現の方法は、彼がこの手紙を書いた時には全く予期しないものであった。なんと、パウロは囚人としてローマへ護送され、最後はローマで殉教した。一見、祈りに応える神が不在のように見えるが、しかし、神は愛である。本来、私たちはこの神(唯一、独自)の愛を、そのまま受け止めることができる者として造られた。しかし、罪によってそれが分らなくなってしまった。故に、神はその神の愛を届けてくださる唯一の仲介者として、主イエスを遣わしてくださった。主こそ、そのとおり叶えられない祈りをとことん理解し、同情してくださる完全な大祭司、まことの愛なるお方。故に、パウロはこのキリストの「愛によって」<30>祈りの要請をしたのである。私たちも、愛によってとりなしの祈りをささげ合う「祭司としての務め」を果たしていきたい。
by ybible63
| 2016-04-08 15:21
| ★礼拝説教要約