2016年 04月 08日
2月21日説教要約 |
~先主日礼拝メッセージ~
「この方はどのような方」(マタイ21章1節~11節)
牧師 紺野 真和
1、この方はどなた。公生涯の3年目にイエス様は過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに入城された。これまでイエス様がエルサレムに来られる時は数回あったが、この入城は今までとは違っていた。イエス様はエルサレム入城の方法でご自分がどなたかを宣言された。イエス様一行はこれまで何百キロと歩いてきたがエルサレムからわずか3キロのベテパゲでロバの子に乗られた。この事でイエス様はご自分が天の御国の王であることを示された。
2、何のために王がエルサレムに入城されたか。この世の王は多くの騎兵隊に囲まれ、威厳をもって馬にまたがって入城した。それは力によって人々に平和をもたらすためであった。しかしイエス様はロバの子に乗って入城された。その姿は謙遜、柔和を現している。この先を見ると分かるが、天の御国の王であるイエス様は贖いの死を通して人々に平和をもたらすためにエルサレムに入城された。王の死を通して、人々に永遠の滅びから永遠の命へ、神の怒りから神との平和な関係へ、罪からの解放の道が用意された。これは一言でいうと人々に御国の国民とする道を備えたということ。王は死ぬためにエルサレムに入城された。
3、天の御国はどのような国。御国の特徴は、御国の王の性質と同じである。イエス様は愛と謙遜なお方である。御国も愛と謙遜の王国である。国民は王を愛し、王の前にへりくだる者であると同時に国民同士もそのような歩みをする者である。しかし御国の国民が合う者同士であるなら、それはそれほど難しいことではないだろう。しかし天の御国には合う人もそうでない人もいる。私達は変えられて行かなければならない。どのように変えられるのか。厳しいことであるが、神様は自分と合わない人との関わりを通して変えてくださる。
「この方はどのような方」(マタイ21章1節~11節)
牧師 紺野 真和
1、この方はどなた。公生涯の3年目にイエス様は過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに入城された。これまでイエス様がエルサレムに来られる時は数回あったが、この入城は今までとは違っていた。イエス様はエルサレム入城の方法でご自分がどなたかを宣言された。イエス様一行はこれまで何百キロと歩いてきたがエルサレムからわずか3キロのベテパゲでロバの子に乗られた。この事でイエス様はご自分が天の御国の王であることを示された。
2、何のために王がエルサレムに入城されたか。この世の王は多くの騎兵隊に囲まれ、威厳をもって馬にまたがって入城した。それは力によって人々に平和をもたらすためであった。しかしイエス様はロバの子に乗って入城された。その姿は謙遜、柔和を現している。この先を見ると分かるが、天の御国の王であるイエス様は贖いの死を通して人々に平和をもたらすためにエルサレムに入城された。王の死を通して、人々に永遠の滅びから永遠の命へ、神の怒りから神との平和な関係へ、罪からの解放の道が用意された。これは一言でいうと人々に御国の国民とする道を備えたということ。王は死ぬためにエルサレムに入城された。
3、天の御国はどのような国。御国の特徴は、御国の王の性質と同じである。イエス様は愛と謙遜なお方である。御国も愛と謙遜の王国である。国民は王を愛し、王の前にへりくだる者であると同時に国民同士もそのような歩みをする者である。しかし御国の国民が合う者同士であるなら、それはそれほど難しいことではないだろう。しかし天の御国には合う人もそうでない人もいる。私達は変えられて行かなければならない。どのように変えられるのか。厳しいことであるが、神様は自分と合わない人との関わりを通して変えてくださる。
by ybible63
| 2016-04-08 15:16
| ★礼拝説教要約