2016年 02月 26日
1月31日説教要約 |
愛にあって生きるとは<ローマ14:13~23>
牧師 鳥居 完次
<12章>からの「信仰の実践的勧め」部分には、キリストにあって生きること、愛にあって生きることが交互に出てくる。本日の箇所は、「愛にあって生きることの意味」である。
1.あなたの持っている信仰は、自分の信仰として保て<22>。この信仰とは、「モーセの律法」ではなく「キリストの愛の律法」に従って生きる信仰であり、そこから出てくる行いを指している。この行いの具体的例に、キリスト者と酒の問題がある。とは言え、キリスト者生活の基本は、禁酒禁煙という戒律・律法から出発しているのではない。飲食の基本は、「ただ神の栄光を現わすため」に尽きる<Ⅰコリ10:31>。故に、もし酒を飲むことが、否、私たちの飲食その他日常の振る舞いが神の栄光のためであるなら、伝統や習慣にとらわれることなく、堂々とそれを生活の中に取り入れて(それを自分の信仰として持っていて)いい。
2.平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めよ<19>。ここで追及すべきは、神と人との平和、つまり「信仰の薄さ」の改善、即ちキリストを愛する愛が増し加わることである。そのために私たちは、神ご自身の警告・諭しのことばに謙虚に従うべきである。キリスト者が心して避けるべきは、「酒に酔うこと」である<エペソ5:18>。またそれ以上に、この問題で人につまずきを与えないことである<20>。それ故、パウロは自分の体験を交え「肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いこと」と言う<21>。しかしこの信仰の確信は、再び<19>にある(キリストの愛にある成長を追い求める)歩みに戻されていくことが期待されているものでもある。
牧師 鳥居 完次
<12章>からの「信仰の実践的勧め」部分には、キリストにあって生きること、愛にあって生きることが交互に出てくる。本日の箇所は、「愛にあって生きることの意味」である。
1.あなたの持っている信仰は、自分の信仰として保て<22>。この信仰とは、「モーセの律法」ではなく「キリストの愛の律法」に従って生きる信仰であり、そこから出てくる行いを指している。この行いの具体的例に、キリスト者と酒の問題がある。とは言え、キリスト者生活の基本は、禁酒禁煙という戒律・律法から出発しているのではない。飲食の基本は、「ただ神の栄光を現わすため」に尽きる<Ⅰコリ10:31>。故に、もし酒を飲むことが、否、私たちの飲食その他日常の振る舞いが神の栄光のためであるなら、伝統や習慣にとらわれることなく、堂々とそれを生活の中に取り入れて(それを自分の信仰として持っていて)いい。
2.平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めよ<19>。ここで追及すべきは、神と人との平和、つまり「信仰の薄さ」の改善、即ちキリストを愛する愛が増し加わることである。そのために私たちは、神ご自身の警告・諭しのことばに謙虚に従うべきである。キリスト者が心して避けるべきは、「酒に酔うこと」である<エペソ5:18>。またそれ以上に、この問題で人につまずきを与えないことである<20>。それ故、パウロは自分の体験を交え「肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いこと」と言う<21>。しかしこの信仰の確信は、再び<19>にある(キリストの愛にある成長を追い求める)歩みに戻されていくことが期待されているものでもある。
by ybible63
| 2016-02-26 14:20
| ★礼拝説教要約