2016年 02月 05日
1月10日説教要約 |
キリストにあって生きるとは<ローマ14:1~12>
牧師 鳥居 完次
<12章>からの「信仰の実践的勧め」部分には、キリストにあって生きること、愛にあって生きることが交互に出てくる。本日の箇所は、キリストにあって生きることの意味である。
1.主(キリスト)のために生きる(行動する)ことである<6~8>。この勧めの教理的土台たる<ローマ6:8~11>を根拠に、<6>を丁寧に訳すと「(主キリストが私たちの内に生きておられるのだから)日を守る人は、(内に生きておられる)主のために守っています。食べる人は、(内に生きておられる)主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、(内に生きておられる)主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。」となる。それ故、一人一人の内に生きておられる主の目を気にして、
2.それぞれ自分の心の中で確信を持って生きなさい(行動しなさい)<5b>。しかし、内におられる主の視線・思いをいろいろと心配する人を「信仰の弱い人」<1>、しない人を「力のある人」<15:1>と言われると、何となく「弱い」よりも「強い」方がいいと思う。が、パウロは、いや何よりも神ご自身は、その両方を受け入れてくださっているのである
<3>。それにしても、その違いはどこから来るのか。それは、私たちお互いの信仰の絶対的な大きさ広さは恐らく同じだとしても、神がそれぞれに分け与えられている「信仰の量り(物差、量りざお)」<12:3>が皆違うとすれば、その大きさ・広さは全然違うことになるからである。故に、信仰者のうちに生きておられる主の視線・思いを意識して行動しつつも、その物差がそれぞれ違うことを受け止め、自分の心の中で確信をもって生きるべきである。
牧師 鳥居 完次
<12章>からの「信仰の実践的勧め」部分には、キリストにあって生きること、愛にあって生きることが交互に出てくる。本日の箇所は、キリストにあって生きることの意味である。
1.主(キリスト)のために生きる(行動する)ことである<6~8>。この勧めの教理的土台たる<ローマ6:8~11>を根拠に、<6>を丁寧に訳すと「(主キリストが私たちの内に生きておられるのだから)日を守る人は、(内に生きておられる)主のために守っています。食べる人は、(内に生きておられる)主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、(内に生きておられる)主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。」となる。それ故、一人一人の内に生きておられる主の目を気にして、
2.それぞれ自分の心の中で確信を持って生きなさい(行動しなさい)<5b>。しかし、内におられる主の視線・思いをいろいろと心配する人を「信仰の弱い人」<1>、しない人を「力のある人」<15:1>と言われると、何となく「弱い」よりも「強い」方がいいと思う。が、パウロは、いや何よりも神ご自身は、その両方を受け入れてくださっているのである
<3>。それにしても、その違いはどこから来るのか。それは、私たちお互いの信仰の絶対的な大きさ広さは恐らく同じだとしても、神がそれぞれに分け与えられている「信仰の量り(物差、量りざお)」<12:3>が皆違うとすれば、その大きさ・広さは全然違うことになるからである。故に、信仰者のうちに生きておられる主の視線・思いを意識して行動しつつも、その物差がそれぞれ違うことを受け止め、自分の心の中で確信をもって生きるべきである。
by ybible63
| 2016-02-05 09:29
| ★礼拝説教要約