2015年 12月 02日
11月15日説教要約 |
「次世代へ」(マルコ10章13節~16節)
牧師 紺野 真和
林業の映画を見た。林業では、自分たちだけのためにではなく、子供、孫、曾孫に良い木を残すために、種取り、地ならし、苗植え、間伐、枝打ちをする。私たちは子供、孫たちに何を残すのか。幸せな生活を送るための知恵か。確かにそれは大切な事であるが、クリスチャンが最も残したいものではない。クリスチャンらしい生き方か。それは素晴らしいが、もし心が伴わず外見だけだったら意味はあまりない。それでは何か。今朝の箇所にそのことが記されている。この箇所には対照的な姿が描かれている。一人は弟子たちである。弟子たちは親が子供をイエス様の許に連れて行こうとした時に叱った。この後には、青年がイエス様の許に来た記事があり、またこの前にはパリサイ人がイエス様を試すために来た記事がある。その時、弟子たちは彼らを叱りはしなかった。子どもたちの時だけ叱ったのである。それは、彼らの中に子供たちの事をイエス様がわざわざ時間を取る必要のない者たちという思いがあったからである。それに対してイエス様は違っていた。イエス様は子供たちを追い返そうとする弟子たちに憤られた。そして子どもたちを迎え、子供たちを抱き、祝福を祈られた。イエス様は子供たち一人一人を愛された。私たちが子供たちに伝える必要があるのはイエス様の愛である。イエス様の愛はどのようにして伝えられるのか。それはまず神様の代理者として立てられている親や祖父母や教会が子供たちを愛することを通してである。子供たちは神様の代理者から愛されることを通して、それより深く大きい神様の愛を知るようになる。また救いの証しをすることである。子供たちは、自分にとって最も身近な人が語る救いの証しを通してイエス様の十字架の愛を心に留めるようになる。子供たちを愛して行こう。
牧師 紺野 真和
林業の映画を見た。林業では、自分たちだけのためにではなく、子供、孫、曾孫に良い木を残すために、種取り、地ならし、苗植え、間伐、枝打ちをする。私たちは子供、孫たちに何を残すのか。幸せな生活を送るための知恵か。確かにそれは大切な事であるが、クリスチャンが最も残したいものではない。クリスチャンらしい生き方か。それは素晴らしいが、もし心が伴わず外見だけだったら意味はあまりない。それでは何か。今朝の箇所にそのことが記されている。この箇所には対照的な姿が描かれている。一人は弟子たちである。弟子たちは親が子供をイエス様の許に連れて行こうとした時に叱った。この後には、青年がイエス様の許に来た記事があり、またこの前にはパリサイ人がイエス様を試すために来た記事がある。その時、弟子たちは彼らを叱りはしなかった。子どもたちの時だけ叱ったのである。それは、彼らの中に子供たちの事をイエス様がわざわざ時間を取る必要のない者たちという思いがあったからである。それに対してイエス様は違っていた。イエス様は子供たちを追い返そうとする弟子たちに憤られた。そして子どもたちを迎え、子供たちを抱き、祝福を祈られた。イエス様は子供たち一人一人を愛された。私たちが子供たちに伝える必要があるのはイエス様の愛である。イエス様の愛はどのようにして伝えられるのか。それはまず神様の代理者として立てられている親や祖父母や教会が子供たちを愛することを通してである。子供たちは神様の代理者から愛されることを通して、それより深く大きい神様の愛を知るようになる。また救いの証しをすることである。子供たちは、自分にとって最も身近な人が語る救いの証しを通してイエス様の十字架の愛を心に留めるようになる。子供たちを愛して行こう。
by ybible63
| 2015-12-02 15:22
| ★礼拝説教要約