2015年 09月 19日
9月13日説教要約 |
造り主の家に住むしあわせ<申命記33:26~29>
牧師 鳥居 完次
今朝の箇所はモーセの民への祝福のことば、そのまとめの部分である。それは、この時代の私たちへの励ましでもある。その「しあわせ」を決定づける根拠は何か。<27>に尽きる。
1.永遠の神ご自身は、私たちが今この世において住む家である。本来私たちがこの世に創造されたときの家は、内に神ご自身が住まわれる特別仕様であった。しかし、人はみな神に背を向け飛び出したこと(罪)により、しあわせの源である神のいのちを失ってしまった。しかしながら、私たちには誰もその家の空洞を埋める手立てがない。故に、神ご自身が御子イエス・キリストの一方的な犠牲を通して、空洞のリニューアル工事を引き受けてくださったのである。信仰によって工事契約を結ぶことにより、ここに、そのしあわせが実現した。
2.永遠の神ご自身は、私たちがこの世の生涯を終わった後において住む家でもある。確かに、信仰によって地上の幕屋の内側は新たにされたが、外側は時間の経過とともに衰え、ついに壊れてしまう現実がある。しかし、いやだからこそ神ご自身が新しく用意してくださる建物がある。それは、人の手によらない天にある永遠の家である<Ⅱコリ5:1>。確かに神は、その「永遠の腕」を差し伸べ、救い主イエス・キリストの十字架と復活の出来事を通して、最後の「敵」である死(死そのもの)に対して絶対的な勝利を与えて下さった<27>。ここに、私たちがこの世の生涯を終わった後において、住む家が用意されていることが示された。主イエス・キリストが墓の中から永遠のいのちのからだをもって復活された事実によって、まさにその約束が確実であること、有効であることを保証してくださったからである。
牧師 鳥居 完次
今朝の箇所はモーセの民への祝福のことば、そのまとめの部分である。それは、この時代の私たちへの励ましでもある。その「しあわせ」を決定づける根拠は何か。<27>に尽きる。
1.永遠の神ご自身は、私たちが今この世において住む家である。本来私たちがこの世に創造されたときの家は、内に神ご自身が住まわれる特別仕様であった。しかし、人はみな神に背を向け飛び出したこと(罪)により、しあわせの源である神のいのちを失ってしまった。しかしながら、私たちには誰もその家の空洞を埋める手立てがない。故に、神ご自身が御子イエス・キリストの一方的な犠牲を通して、空洞のリニューアル工事を引き受けてくださったのである。信仰によって工事契約を結ぶことにより、ここに、そのしあわせが実現した。
2.永遠の神ご自身は、私たちがこの世の生涯を終わった後において住む家でもある。確かに、信仰によって地上の幕屋の内側は新たにされたが、外側は時間の経過とともに衰え、ついに壊れてしまう現実がある。しかし、いやだからこそ神ご自身が新しく用意してくださる建物がある。それは、人の手によらない天にある永遠の家である<Ⅱコリ5:1>。確かに神は、その「永遠の腕」を差し伸べ、救い主イエス・キリストの十字架と復活の出来事を通して、最後の「敵」である死(死そのもの)に対して絶対的な勝利を与えて下さった<27>。ここに、私たちがこの世の生涯を終わった後において、住む家が用意されていることが示された。主イエス・キリストが墓の中から永遠のいのちのからだをもって復活された事実によって、まさにその約束が確実であること、有効であることを保証してくださったからである。
by ybible63
| 2015-09-19 13:45
| ★礼拝説教要約