2015年 09月 03日
8月23日説教要約 |
ねたみを起こすほどの愛<ローマ11:11~24>
牧師 鳥居 完次
本日の箇所に、「ねたみを起こす(引き起こす)」という表現が2回<11、14>出てくるが、その布石は<10:19>にある。その引用元である<申32:21>から引き出される事実は何か。
1.神は、ねたむ神である<出34:14他>。神ご自身の所有する栄光を他の偽りの神々に与えることをよしとしない(ねたむ)ということである。しかし、人は罪によって、ねたみを起こすほどの愛を踏みにじり、実際に神のねたみを引き起こしてしまった<申32:21a>。
2.人は、ねたみを起こすほどの神の愛をゆがめたことによって、人への愛もゆがめた。つまり人は、ねたみを起こすほどの神の愛をゆがめたことで、結局ゆがめられた愛(ねたみ)で人をねたむ者となった(なってしまった)<申32:21b>。その事実が<10:19>である。
3.神は、このゆがめられたねたみを引き受けてくださるほどに私たちを愛しておられる。このメッセージは、<ルカ15:11~32>の主イエス様が語られたたとえに重ねられている。
前半に登場する弟息子は、確かに父の顔に泥を塗るような形で家を出た「放蕩息子」である。しかし、後半に登場する兄息子も父の愛をゆがめてとらえてしまったという意味では、弟と何ら変わらない。実はこのたとえの焦点は、父の弟への愛をゆがめてとらえ、おこって家に入ろうともしなかった兄にで、「それで、父が出て来て、いろいろとなだめてみた」である。ここに、なだめの供え物として遣わされたキリストの十字架の愛がある。確かに主は、私たちのゆがめられたねたみによって(負って)十字架で贖いの血を流された。これほどの愛で愛されている事実を、今や御霊ご自身のなだめの働きが教えてくださることを感謝したい。
牧師 鳥居 完次
本日の箇所に、「ねたみを起こす(引き起こす)」という表現が2回<11、14>出てくるが、その布石は<10:19>にある。その引用元である<申32:21>から引き出される事実は何か。
1.神は、ねたむ神である<出34:14他>。神ご自身の所有する栄光を他の偽りの神々に与えることをよしとしない(ねたむ)ということである。しかし、人は罪によって、ねたみを起こすほどの愛を踏みにじり、実際に神のねたみを引き起こしてしまった<申32:21a>。
2.人は、ねたみを起こすほどの神の愛をゆがめたことによって、人への愛もゆがめた。つまり人は、ねたみを起こすほどの神の愛をゆがめたことで、結局ゆがめられた愛(ねたみ)で人をねたむ者となった(なってしまった)<申32:21b>。その事実が<10:19>である。
3.神は、このゆがめられたねたみを引き受けてくださるほどに私たちを愛しておられる。このメッセージは、<ルカ15:11~32>の主イエス様が語られたたとえに重ねられている。
前半に登場する弟息子は、確かに父の顔に泥を塗るような形で家を出た「放蕩息子」である。しかし、後半に登場する兄息子も父の愛をゆがめてとらえてしまったという意味では、弟と何ら変わらない。実はこのたとえの焦点は、父の弟への愛をゆがめてとらえ、おこって家に入ろうともしなかった兄にで、「それで、父が出て来て、いろいろとなだめてみた」である。ここに、なだめの供え物として遣わされたキリストの十字架の愛がある。確かに主は、私たちのゆがめられたねたみによって(負って)十字架で贖いの血を流された。これほどの愛で愛されている事実を、今や御霊ご自身のなだめの働きが教えてくださることを感謝したい。
by ybible63
| 2015-09-03 16:55
| ★礼拝説教要約