2015年 08月 07日
7月26日説教要約 |
今も、残された者がいる<ローマ11:1~10>
牧師 鳥居 完次
神の救いの選び、その結論は「神の主権的あわれみによる」。となると、神はご自分の民をあわれみの対象からはずしてしまわれたのか<1>。絶対にそんなことはない。何故なら、
1.パウロの救いの事実の中に、神の恵みによる選びの意味を見ることができる。確かに、パウロはあわれみの器として、神の恵みの選びによって救われ使徒として召された<1:5>。それにしても、彼は神の教会を激しく迫害した者。そんなパウロが選ばれたこと自体、神のなさる驚くばかりの恵みのわざ以外の何ものでもない。それ故、この神の恵みの選びを受け、「恵みによって、今の私になった」<Ⅰコリ15:10>と語るパウロの証しには説得力がある。
2.パウロが引用している旧約のみことばの中に、神の恵みによる選びの意味を見ることができる。 特に、<9~10>で引用されているみことばの中に、神ご自身の真逆の思いが隠されている。このみことばは<詩69篇>の引用であるが、ここにはキリストの十字架の出来事が隠されている。この背景には、神のみこころに忠実に従って歩もうとすればするほどそれに激しく敵対する勢力の存在があり<詩69:19~21>、そしてついに、相手に対する怒りが爆発する<詩69:22~28>。しかし、主イエス・キリストはこの怒りのことばをそっくり封印し、十字架の上で尚ご自分に楯突く者のために、とりなしの祈りをささげてくださった<ルカ23:34>。パウロはこれを、自分自身へのことばとして聞くことができたのであろう。その意味で、確かに私たちもまた、パウロと同じように恵みの器として選ばれている。故に、「それと同じように、今も、恵みの選びによって残された(救われる)者がいる」<5>。
牧師 鳥居 完次
神の救いの選び、その結論は「神の主権的あわれみによる」。となると、神はご自分の民をあわれみの対象からはずしてしまわれたのか<1>。絶対にそんなことはない。何故なら、
1.パウロの救いの事実の中に、神の恵みによる選びの意味を見ることができる。確かに、パウロはあわれみの器として、神の恵みの選びによって救われ使徒として召された<1:5>。それにしても、彼は神の教会を激しく迫害した者。そんなパウロが選ばれたこと自体、神のなさる驚くばかりの恵みのわざ以外の何ものでもない。それ故、この神の恵みの選びを受け、「恵みによって、今の私になった」<Ⅰコリ15:10>と語るパウロの証しには説得力がある。
2.パウロが引用している旧約のみことばの中に、神の恵みによる選びの意味を見ることができる。 特に、<9~10>で引用されているみことばの中に、神ご自身の真逆の思いが隠されている。このみことばは<詩69篇>の引用であるが、ここにはキリストの十字架の出来事が隠されている。この背景には、神のみこころに忠実に従って歩もうとすればするほどそれに激しく敵対する勢力の存在があり<詩69:19~21>、そしてついに、相手に対する怒りが爆発する<詩69:22~28>。しかし、主イエス・キリストはこの怒りのことばをそっくり封印し、十字架の上で尚ご自分に楯突く者のために、とりなしの祈りをささげてくださった<ルカ23:34>。パウロはこれを、自分自身へのことばとして聞くことができたのであろう。その意味で、確かに私たちもまた、パウロと同じように恵みの器として選ばれている。故に、「それと同じように、今も、恵みの選びによって残された(救われる)者がいる」<5>。
by ybible63
| 2015-08-07 11:07
| ★礼拝説教要約