2015年 08月 07日
7月19日説教要約 |
「御国が来ますように」(マタイ6章9~13節、ルカ4章40~44節)
寒河江担当牧師 津嶋 理道
私たちの志とするべきこととは何か? それは単に、教会の教勢を伸ばすことではなくて、この世界に「御国」を実現させることである。すなわち「御国が来ますように」と祈りつつ、私たちが召されている宣教の現場と、そこにある人々の中に、神様の恵みのご支配が力強く
及ぶために労することである。なぜなら、それこそが神様の究極のビジョンだからであり、主が教会に「天の御国の鍵」が与えて「神の国」を宣べ伝えさせた目的だからである。
寒河江教会に集うある方が5月に癌で天に召されたが、彼は詐欺事件の被害で長年苦しんで来た。そんな彼を私たちも十分に助けられず、しかも、彼には末期癌が見つかって、教会の無力さを痛感させられたことだった。けれども彼は、亡くなる10日前に主を信じ、心の中に「御国」が来た平安と教会の交わりを喜ぶ中で召天された。これこそは、教勢的には無意味であっても、教会に期待されている「御国に仕える働き」だったと思わされている。
では、このような働きは、どこで、どのようにしたらできるのか? 私たちが召されている現場で心から「御国が来ますように」と祈り仕えるならば、それはどこででも可能である。寒河江教会では今、婦人の趣味のクラス「サークル・ハンズ」がそのために用いられている。
参加者の中に着実に「御国」が到来することを願って続けている。そんな寒河江教会の働きのために続けて祈って欲しい。また、可能ならば共に労していただきたい。
「御国」とは、この世界のどこかにだけ実現していればよいというものではない。だからイエス様も「ほかも町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません」と仰った。それでは、皆さんが「御国」のために遣わされている所とは、どこなのだろうか?
寒河江担当牧師 津嶋 理道
私たちの志とするべきこととは何か? それは単に、教会の教勢を伸ばすことではなくて、この世界に「御国」を実現させることである。すなわち「御国が来ますように」と祈りつつ、私たちが召されている宣教の現場と、そこにある人々の中に、神様の恵みのご支配が力強く
及ぶために労することである。なぜなら、それこそが神様の究極のビジョンだからであり、主が教会に「天の御国の鍵」が与えて「神の国」を宣べ伝えさせた目的だからである。
寒河江教会に集うある方が5月に癌で天に召されたが、彼は詐欺事件の被害で長年苦しんで来た。そんな彼を私たちも十分に助けられず、しかも、彼には末期癌が見つかって、教会の無力さを痛感させられたことだった。けれども彼は、亡くなる10日前に主を信じ、心の中に「御国」が来た平安と教会の交わりを喜ぶ中で召天された。これこそは、教勢的には無意味であっても、教会に期待されている「御国に仕える働き」だったと思わされている。
では、このような働きは、どこで、どのようにしたらできるのか? 私たちが召されている現場で心から「御国が来ますように」と祈り仕えるならば、それはどこででも可能である。寒河江教会では今、婦人の趣味のクラス「サークル・ハンズ」がそのために用いられている。
参加者の中に着実に「御国」が到来することを願って続けている。そんな寒河江教会の働きのために続けて祈って欲しい。また、可能ならば共に労していただきたい。
「御国」とは、この世界のどこかにだけ実現していればよいというものではない。だからイエス様も「ほかも町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません」と仰った。それでは、皆さんが「御国」のために遣わされている所とは、どこなのだろうか?
by ybible63
| 2015-08-07 11:05
| ★礼拝説教要約