2015年 06月 03日
5月24日礼拝説教要約 |
「神の選びの計画の確かさ」<ローマ9:1~18>
牧師 鳥居 完次
聖書の主張は、この世が始まる前から神が主権をもって私たちを選んでおられた、であり、「事は、人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神による」<16>である。
1.神の選びの理由は、「私たちの信仰による」というのではないということである。これは一見、誤解を招く表現であるがアブラハムの例を見ればわかる。アブラハムが神のことばを信じたから神に選ばれたのではなく、神がアブラハムを選ばれることにより彼は信じたのである。とは言え、神がその信仰を予知されたので、私たちも選びの計画に入れられたということになるのでもない。どこまでいっても、神の選びは神の主権的選びが先行している。
2.神の選びの理由は、ただ一言「あわれんでくださる神による」ということである。言い換えると、神の選びの理由は、何よりも神の一方的なあわれみ(愛、いつくしみ、恵み)によるものなのである。その意味では、私たちが自発的に(私たち自身の自由意志に基づく)信仰を持つことができたこと自体、神ご自身の一方的なあわれみ(賜物、プレゼント)と言える。実は、それほどに私たちは「神に愛されている」ということである。つまり、神の愛が先行しているのである<Ⅰヨハネ4:10>。それ故にこそ、私たちは「神を愛することができる」。さらに言えば、<8:28>のみことば「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」を、まさに自分のこととして確信をもって受け止めることができるのである。神の選びの理由は、ただ一言「あわれんでくださる神による」ことを感謝したい。
牧師 鳥居 完次
聖書の主張は、この世が始まる前から神が主権をもって私たちを選んでおられた、であり、「事は、人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神による」<16>である。
1.神の選びの理由は、「私たちの信仰による」というのではないということである。これは一見、誤解を招く表現であるがアブラハムの例を見ればわかる。アブラハムが神のことばを信じたから神に選ばれたのではなく、神がアブラハムを選ばれることにより彼は信じたのである。とは言え、神がその信仰を予知されたので、私たちも選びの計画に入れられたということになるのでもない。どこまでいっても、神の選びは神の主権的選びが先行している。
2.神の選びの理由は、ただ一言「あわれんでくださる神による」ということである。言い換えると、神の選びの理由は、何よりも神の一方的なあわれみ(愛、いつくしみ、恵み)によるものなのである。その意味では、私たちが自発的に(私たち自身の自由意志に基づく)信仰を持つことができたこと自体、神ご自身の一方的なあわれみ(賜物、プレゼント)と言える。実は、それほどに私たちは「神に愛されている」ということである。つまり、神の愛が先行しているのである<Ⅰヨハネ4:10>。それ故にこそ、私たちは「神を愛することができる」。さらに言えば、<8:28>のみことば「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」を、まさに自分のこととして確信をもって受け止めることができるのである。神の選びの理由は、ただ一言「あわれんでくださる神による」ことを感謝したい。
by ybible63
| 2015-06-03 09:38
| ★礼拝説教要約