2015年 05月 12日
5月3日礼拝説教要約 |
「ダビデの悔改め」(第二サムエル記12章1~14節)
牧師 紺野 真和
ダビデは姦淫と殺人の罪を犯した。神様はそのダビデに対して沈黙された。その時、ダビデは自分の犯した罪にもがき苦しんだ。またこの先の展開がダビデには分からなかったので、彼は神様に見捨てられたと思ったであろう。どうして神様は沈黙されたのだろうか。ダビデを愛する故に期が熟するのを待っていたのである。ダビデがどのような状態になるのを待っていたのか。
さて、神様は沈黙を破り、預言者ナタンを遣わしダビデの罪を責めた。その時ダビデは「私は主に対して罪を犯した。」と告白した。この言葉はダビデにとって非常に重く深い言葉であった。なぜならダビデが自分の犯した罪に苦しんだからである。しかしそれだけではなくダビデにとって罪の次元が深まったからである。ダビデは詩篇51篇で「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。」と告白している。彼は自分の心が生まれながらにして腐敗していることを嘆いている。ダビデは自分の原罪に嘆いている。神様はダビデを愛する故に沈黙され、ダビデが自分の罪を重くそして深く受け止められるようになるのを待っていた。そのダビデに神様は赦しを宣告された。この時のダビデにとって罪の赦しはどれほど大きな恵みとして受け止められたであろうか。
私たちは自分の罪の重さ深さを受け止められているだろうか。行為としての罪を心の深くで受け止めずに、すぐイエス様の十字架感謝と考えてはいないか。また原罪についても、生まれながらに罪人であるとは理解しているが、嘆くほどに受け止めているだろうか。
ご聖霊を通して自らの罪を知らせて頂き、赦しの深さを知る者にさせていただこう。
by ybible63
| 2015-05-12 08:36
| ★礼拝説教要約