2015年 04月 28日
4月19日説教要約 |
「熱心に祈る者へ」(エペソ1章15~19節、3章14~19節)
牧師 紺野 真和
私達クリスチャンの祈りの生活はどうか。教会を建て上げた初期の先輩方や救われた当初の自分と比べて少なくなっていることはないだろうか。もし祈りに熱心でないならその原因をさぐる必要がある。私達の祈りに対する優先順位が下がっているということはないか。伝道、奉仕、交わり、社会貢献、仕事、趣味など、これらは大切な事であるが、祈りの基になされるべきものである。またテレビやインターネットなどは、悪いものではないが、だらだらと見て時間を過ごし祈る時間が奪われていることはないか。もし祈らないなら、どんなに個人の生活が祝福されていようとも、また教会の人数が増え、活動が活発になり、救われる人が起こされたとしても、それは神様の喜ばれる姿ではない。かえって個人や教会の霊性が落ちて行き、骨抜きの信仰者、教会になってしまう。祈りは何よりも優先される必要がある。
それでは、私達はどのような事を祈るのか。祈りには様々な要素がある。賛美、感謝、告白等々。今朝は執り成しの祈りを取り上げる。私達は他の人々のためにどのような執り成しの祈りをしているだろうか。私達の執り成しの祈りはその人が何を優先にしているかが現れる。もし子供のことを祈るなら、受験生であれば、しっかりと備えをし合格できるように祈るであろう。又病気であれば病気の回復のために祈るであろう。これらはイエス様が主の祈りで教えられたように大切な祈りである。しかしパウロは今日の箇所で、エペソのクリスチャンたちが神様を知ることができるように、キリストの愛を知ることができるようにと祈った。私達は他者のために自分のためにこの祈りを熱心にしていく必要がある。なぜなら、神を知る時、私達は神を愛し、神に仕えるようになり、豊かな信仰生活を送れるからである。
by ybible63
| 2015-04-28 10:10
| ★礼拝説教要約