2015年 04月 09日
3月22日説教要約 |
「ダビデの成功と失敗」(2サムエル8章、11章1~5節)
牧師 紺野 真和
8章には、イスラエルの国と様々な国々が戦い勝利したことが記されている。この箇所では「ダビデが…を打った」という言葉が繰り返されている。これは実際にダビデが戦いに出て行ったことを意味している。ダビデは、他の誰かを遣わし、自分はぬくぬくと王宮にいる人物ではなかった。彼は民の先頭に立って戦う人であった(Ⅰサムエル18章13節参照)。彼をそのように駆り立てのはどんな思いか?それは神様の御名が崇められることを求める思いであった。その事が如実に表れているのは、ダビデがゴリアテと戦った時である。ダビデは、ペリシテ人に神の御名が汚されていることに正義の怒りを燃やし、また神様の栄光が現されることを求めて戦った。ダビデは、その思いに満ちていたので民の先に立って戦ったのである。そのようなダビデを神様は用いられた。しかし11章には、そのダビデの人生最大の汚点(バテ・シェバ事件)が記されている。どうしてダビデはいとも簡単に誘惑に屈したのか。11章1、2節に、戦いが始まった時、ダビデは他の者を遣わして、自分は王宮で夕方まで寝ていたことが記されている。そのような行動は、ダビデの心に神様の栄光が現されるようにという願いがなかったからである。そのため誘惑にあった時、一歩踏み出せば神様の御名を汚すことになるとブレーキがかからず、いとも簡単に罪を犯してしまった。信仰者にとって大切な心は、神様の栄光が現されるようにとの思いである。その思いがない時、私たちは、神様に用いられる豊かな人生を送れない。また律法主義的な生き方になる。更に罪を犯しやすくなる。もし、私たちの内にその思いが薄いなら、もう一度、神様が私たちにしてくださった恵みを心で受け止めて行こう。
牧師 紺野 真和
8章には、イスラエルの国と様々な国々が戦い勝利したことが記されている。この箇所では「ダビデが…を打った」という言葉が繰り返されている。これは実際にダビデが戦いに出て行ったことを意味している。ダビデは、他の誰かを遣わし、自分はぬくぬくと王宮にいる人物ではなかった。彼は民の先頭に立って戦う人であった(Ⅰサムエル18章13節参照)。彼をそのように駆り立てのはどんな思いか?それは神様の御名が崇められることを求める思いであった。その事が如実に表れているのは、ダビデがゴリアテと戦った時である。ダビデは、ペリシテ人に神の御名が汚されていることに正義の怒りを燃やし、また神様の栄光が現されることを求めて戦った。ダビデは、その思いに満ちていたので民の先に立って戦ったのである。そのようなダビデを神様は用いられた。しかし11章には、そのダビデの人生最大の汚点(バテ・シェバ事件)が記されている。どうしてダビデはいとも簡単に誘惑に屈したのか。11章1、2節に、戦いが始まった時、ダビデは他の者を遣わして、自分は王宮で夕方まで寝ていたことが記されている。そのような行動は、ダビデの心に神様の栄光が現されるようにという願いがなかったからである。そのため誘惑にあった時、一歩踏み出せば神様の御名を汚すことになるとブレーキがかからず、いとも簡単に罪を犯してしまった。信仰者にとって大切な心は、神様の栄光が現されるようにとの思いである。その思いがない時、私たちは、神様に用いられる豊かな人生を送れない。また律法主義的な生き方になる。更に罪を犯しやすくなる。もし、私たちの内にその思いが薄いなら、もう一度、神様が私たちにしてくださった恵みを心で受け止めて行こう。
by ybible63
| 2015-04-09 14:49
| ★礼拝説教要約