2015年 01月 16日
1月4日礼拝説教 |
「家族、友人をキリストの許へ」(Ⅱコリント5章11節~21節)
牧師 紺野 真和
今年度、私たちの教会は上記の目標を掲げてここまで進んできた。第一主日には宣教に関する説教をし、地区集会では人々にイエス様を紹介する具体的な一つの手段として「基礎の学び」の聖書研究を共にし合った。これまで、私たちの取組みはどうだったか。
1、パウロの宣教の動機。パウロは人々に福音を語る時、狂っているのではと思われた。それは実際に狂っていたのではなく、人間的には受け止められない福音を熱心に真剣に語ったからである。パウロをそのように動かしたのは何か?「キリストの愛が私を取り囲んでいるからです」とあるように、イエス様が自分のような罪人を命を捨てて救ってくださったことである。イエス様の十字架の愛、神様の愛が福音宣教の動機である。
2、福音の内容。パウロが熱心に語ったのは和解の福音である。18節と19節に和解という言葉が繰り返し出て来る。和解とは神様と人間の和解である。和解ということであるから、以前神様と人間が敵対関係にあったということである。神様は人間を愛をもって造られ守られたにも関わらず、人間は神様の愛を踏みにじり、神様を無視して歩むようになった。そして神様の御心を行っていない。この敵対関係の責任は一方的に人間の側にある。従って人間が和解のために何とかしなければならないのであるが、人間には何もすることができない。そこで神様は私たちを愛する故に和解の手を差し伸ばしてくださった。神様の独り子イエス・キリストの身代わりの死によって私たちと和解してくださった。
3、誰が和解の福音を語るのか。和解の福音を語るのは私たち一人ひとりである。神様は私たちを福音を語る者として任命しておられる。自らの口で和解の言葉を語って行こう。
牧師 紺野 真和
今年度、私たちの教会は上記の目標を掲げてここまで進んできた。第一主日には宣教に関する説教をし、地区集会では人々にイエス様を紹介する具体的な一つの手段として「基礎の学び」の聖書研究を共にし合った。これまで、私たちの取組みはどうだったか。
1、パウロの宣教の動機。パウロは人々に福音を語る時、狂っているのではと思われた。それは実際に狂っていたのではなく、人間的には受け止められない福音を熱心に真剣に語ったからである。パウロをそのように動かしたのは何か?「キリストの愛が私を取り囲んでいるからです」とあるように、イエス様が自分のような罪人を命を捨てて救ってくださったことである。イエス様の十字架の愛、神様の愛が福音宣教の動機である。
2、福音の内容。パウロが熱心に語ったのは和解の福音である。18節と19節に和解という言葉が繰り返し出て来る。和解とは神様と人間の和解である。和解ということであるから、以前神様と人間が敵対関係にあったということである。神様は人間を愛をもって造られ守られたにも関わらず、人間は神様の愛を踏みにじり、神様を無視して歩むようになった。そして神様の御心を行っていない。この敵対関係の責任は一方的に人間の側にある。従って人間が和解のために何とかしなければならないのであるが、人間には何もすることができない。そこで神様は私たちを愛する故に和解の手を差し伸ばしてくださった。神様の独り子イエス・キリストの身代わりの死によって私たちと和解してくださった。
3、誰が和解の福音を語るのか。和解の福音を語るのは私たち一人ひとりである。神様は私たちを福音を語る者として任命しておられる。自らの口で和解の言葉を語って行こう。
by ybible63
| 2015-01-16 09:00
| ★礼拝説教要約