2014年 09月 24日
9月7日説教予約 |
「キリストの許へ」(マルコ2章1節~12節)
牧師 紺野 真和
今朝は、月の第一週なので、今年度の私たちの教会の目標である宣教について見ていく。この箇所には四人の人が中風の患者をイエス様の許へ連れて来たことが記されているが、ここから宣教の動機について二つ見る。四人の人は中風の人をイエス様の許に連れて来た。その時、もう既にイエス様のお話を聞きに人々が大勢集まっていて、家の戸口まで人が一杯であった。彼らは人々に「病人を連れて来たので、通してください」と声をかけたかもしれない。しかし誰も反応しなかった。そこまでやってだめなら、また今度にしようと思うであろうが、彼らはそこで諦めなかった。どうしたらこの病人をイエス様の許に連れて行けるか必死に考えた。そして屋根をはがして床ごとイエス様の許につり降ろす方法を思いついた。このことには危険もあるし、後で家主から文句を言われるのは必至であった。しかし彼らはその障害を乗り越えた。どうして彼らはそこまでしたのか。それは中風の人を愛していたからである。宣教においても同じである。宣教の第一の動機はその人への愛である。その人への愛がある時、私たちは福音を伝えようという思いが心に湧き上って来る。そして愛は、四人の友人がイエス様のところに病人を連れていく方法を考えたように、私たちにどのようにしたらその人をイエス様の許に連れて来ることができるかを考えるようにする。そして四人の人がイエス様の許に中風の人を連れて来たのは、イエス様が彼を癒してくださると信じていたからでもある。私たちの宣教の第二の動機は、イエス様だけが人の罪を赦してくださる方であることを知り、信じ、確信するところからくる。他には人の罪を赦し救えるお方はいない。そのことを覚え、そして御聖霊の助けによって、キリストの許へ人々をお連れしよう。
牧師 紺野 真和
今朝は、月の第一週なので、今年度の私たちの教会の目標である宣教について見ていく。この箇所には四人の人が中風の患者をイエス様の許へ連れて来たことが記されているが、ここから宣教の動機について二つ見る。四人の人は中風の人をイエス様の許に連れて来た。その時、もう既にイエス様のお話を聞きに人々が大勢集まっていて、家の戸口まで人が一杯であった。彼らは人々に「病人を連れて来たので、通してください」と声をかけたかもしれない。しかし誰も反応しなかった。そこまでやってだめなら、また今度にしようと思うであろうが、彼らはそこで諦めなかった。どうしたらこの病人をイエス様の許に連れて行けるか必死に考えた。そして屋根をはがして床ごとイエス様の許につり降ろす方法を思いついた。このことには危険もあるし、後で家主から文句を言われるのは必至であった。しかし彼らはその障害を乗り越えた。どうして彼らはそこまでしたのか。それは中風の人を愛していたからである。宣教においても同じである。宣教の第一の動機はその人への愛である。その人への愛がある時、私たちは福音を伝えようという思いが心に湧き上って来る。そして愛は、四人の友人がイエス様のところに病人を連れていく方法を考えたように、私たちにどのようにしたらその人をイエス様の許に連れて来ることができるかを考えるようにする。そして四人の人がイエス様の許に中風の人を連れて来たのは、イエス様が彼を癒してくださると信じていたからでもある。私たちの宣教の第二の動機は、イエス様だけが人の罪を赦してくださる方であることを知り、信じ、確信するところからくる。他には人の罪を赦し救えるお方はいない。そのことを覚え、そして御聖霊の助けによって、キリストの許へ人々をお連れしよう。
by ybible63
| 2014-09-24 10:01
| ★礼拝説教要約