2014年 07月 29日
7月20日礼拝説教 |
「暗闇から」(第一サムエル記27章1節~28章2節)
牧師 紺野 真和
ダビデは信仰の勇者であったが、27章にはダビデが神から離れている姿が描かれている。以前ダビデはサウル王の事は神にお委ねするという信仰を持っていたが、「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう」と思い、又いつもは神の御心を求めていたのに「ペリシテ人の地に逃れるよりほかに道はない」と自分が確信できる安全な道を選んだ。ペリシテ人アキシュ王の許に逃れたダビデの姿は悲惨であった。アキシュ王は当然、ユダを攻めるように命じた。その時ダビデは他の地を攻めたのに、ユダとその同盟国を攻めたと嘘を言い続け、またその嘘がばれないように攻めた地の人々を皆殺しにした。この一年四か月、彼の純粋な心はズタズタに引き裂かれていたであろう。しかし30章にはダビデの信仰が復活した姿が記されている。ダビデが自分と軍隊が留守にしていた時、略奪隊によって家族も財産もすべて奪われた。その時神様の御心を求めた。また略奪隊から奪い返した時、神様が勝利を与えて下さったと告白をした。30章のダビデの姿はすがすがしい。
ここでもっとも私の心に留まる事は、あのダビデでさえ神から離れた時があったとという事実である。それならそれは私達にも起こりうる。教会から離れたり、教会に集っていても心が離れているという事はある。その者がどのようにして信仰の復活ができるのか。ダビデは自分の町を攻められ、自分が守って来た家族や民の家族、財産を奪われ深く悲しんだ。それだけではなく共にいた者たちは、やり場のない悲しみをダビデに向け、彼を石で殺そうとした。その絶体絶命の試練の中で、彼は神にすがり信仰を回復した。「ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」私達を愛する神は様々な事を通して、ご自分の許に戻そうとされる。
牧師 紺野 真和
ダビデは信仰の勇者であったが、27章にはダビデが神から離れている姿が描かれている。以前ダビデはサウル王の事は神にお委ねするという信仰を持っていたが、「私はいつか、いまに、サウルの手によって滅ぼされるだろう」と思い、又いつもは神の御心を求めていたのに「ペリシテ人の地に逃れるよりほかに道はない」と自分が確信できる安全な道を選んだ。ペリシテ人アキシュ王の許に逃れたダビデの姿は悲惨であった。アキシュ王は当然、ユダを攻めるように命じた。その時ダビデは他の地を攻めたのに、ユダとその同盟国を攻めたと嘘を言い続け、またその嘘がばれないように攻めた地の人々を皆殺しにした。この一年四か月、彼の純粋な心はズタズタに引き裂かれていたであろう。しかし30章にはダビデの信仰が復活した姿が記されている。ダビデが自分と軍隊が留守にしていた時、略奪隊によって家族も財産もすべて奪われた。その時神様の御心を求めた。また略奪隊から奪い返した時、神様が勝利を与えて下さったと告白をした。30章のダビデの姿はすがすがしい。
ここでもっとも私の心に留まる事は、あのダビデでさえ神から離れた時があったとという事実である。それならそれは私達にも起こりうる。教会から離れたり、教会に集っていても心が離れているという事はある。その者がどのようにして信仰の復活ができるのか。ダビデは自分の町を攻められ、自分が守って来た家族や民の家族、財産を奪われ深く悲しんだ。それだけではなく共にいた者たちは、やり場のない悲しみをダビデに向け、彼を石で殺そうとした。その絶体絶命の試練の中で、彼は神にすがり信仰を回復した。「ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」私達を愛する神は様々な事を通して、ご自分の許に戻そうとされる。
by ybible63
| 2014-07-29 08:36
| ★礼拝説教要約