2014年 07月 09日
6月29日早朝礼拝説教要旨 |
「愛し続けられる主」(マタイ26章20~25節)
牧師 紺野 真和
今朝はイスカリオテユダのことを見ていく。ユダはイエス様が夜を徹して祈られ選ばれた弟子の一人である。それ以来、彼はイエス様の人々に対する憐れみ、病を癒す力、自分たちに注がれる愛を受け止めてきた。その彼がどうしてイエス様を裏切ったのか。当時弟子たちはローマから解放してくれる救い主を求めていた。しかしユダはイエス様の言動を通して、自分の求めている救い主ではないことを感じ始めていた。その事が明確になったのが、マリヤがイエス様に高価な香油を塗った時である。イエス様はマリヤの行為を「わたしの埋葬の用意をしてくれた」と言われた。その時ユダは、失望し、祭司長たちの所に出かけイエス様を銀貨30枚で売った(26章14、15節)。しかしイエス様は自分を裏切ったユダを愛し続けられた。最後の晩餐の時に、ユダが裏切ることを知っていたが愛をこめて足を洗われた。また食事の時、「あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります」、「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです」と言われ、ユダを名指しすることはなかった。これはユダを愛するゆえに、悔改めの機会を与えられたのである。更に「人の子を裏切るような人間はわざわいです」と言われた。「わざわい」という言葉は、うめきの言葉である。イエス様はユダが裏切ることにうめくほどの深い悲しみを表されたのである。この後、ユダは晩餐の場を後にし、イエス様を祭司長たちに引き渡すためにゲッセマネの園に行った。ユダがイエス様を引き渡した時、イエス様はユダに「友よ。何のために来たのですか」と語り掛けられた。ユダを愛するゆえにやさしく「友よ」と呼びかけられ、再び悔改めの機会を与えられた。イエス様は最後までユダを愛し続けられた。私達は主の愛を受け止めよう。
牧師 紺野 真和
今朝はイスカリオテユダのことを見ていく。ユダはイエス様が夜を徹して祈られ選ばれた弟子の一人である。それ以来、彼はイエス様の人々に対する憐れみ、病を癒す力、自分たちに注がれる愛を受け止めてきた。その彼がどうしてイエス様を裏切ったのか。当時弟子たちはローマから解放してくれる救い主を求めていた。しかしユダはイエス様の言動を通して、自分の求めている救い主ではないことを感じ始めていた。その事が明確になったのが、マリヤがイエス様に高価な香油を塗った時である。イエス様はマリヤの行為を「わたしの埋葬の用意をしてくれた」と言われた。その時ユダは、失望し、祭司長たちの所に出かけイエス様を銀貨30枚で売った(26章14、15節)。しかしイエス様は自分を裏切ったユダを愛し続けられた。最後の晩餐の時に、ユダが裏切ることを知っていたが愛をこめて足を洗われた。また食事の時、「あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります」、「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです」と言われ、ユダを名指しすることはなかった。これはユダを愛するゆえに、悔改めの機会を与えられたのである。更に「人の子を裏切るような人間はわざわいです」と言われた。「わざわい」という言葉は、うめきの言葉である。イエス様はユダが裏切ることにうめくほどの深い悲しみを表されたのである。この後、ユダは晩餐の場を後にし、イエス様を祭司長たちに引き渡すためにゲッセマネの園に行った。ユダがイエス様を引き渡した時、イエス様はユダに「友よ。何のために来たのですか」と語り掛けられた。ユダを愛するゆえにやさしく「友よ」と呼びかけられ、再び悔改めの機会を与えられた。イエス様は最後までユダを愛し続けられた。私達は主の愛を受け止めよう。
by ybible63
| 2014-07-09 09:41
| ★礼拝説教要約