2014年 05月 13日
5月4日礼拝説教要約 |
「家族・友人をキリストの許へ」(Ⅱコリント5章11節~21節)
牧師 紺野 真和
パウロが福音宣教をしている姿は人々に狂っているのではないかと映るようなものであった。それは、決しておかしくなって語っていたというのではなく、彼が人間的には理解できない福音を熱心に没頭して語ったということである。そのようにパウロを駆り立てたのは何か。「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです」(14節)とある。すなわちイエス様の愛、イエス様の十字架の愛が反発される恐れを乗り越えさせて語らせたのである。
パウロの語った福音とは何か。それは和解の福音である。18節、19節に和解という言葉が繰り返し出て来る。和解とは神様と人間の和解である。人間は神様に愛され造られたにもかかわらず、その神様を無視し背を向けて歩んでいる。クリスチャンホームの子供でも最初から神様を信じている者はいない。それを聖書では罪という。神様はその罪のために人間に怒りを燃やされる。この敵対関係の責任はすべて人間にある。従って神様と和解してもらうために人間の側で何かをしなければならないが、私たちには何もできない。そこで神様は和解の手を人間に差し伸ばしてくれた。それは御子イエス様が私たちの罪を背負い、神様の裁きを受けるということによってである。御子の十字架によって、私たちは神様と和解させていただいた。この和解の福音を誰が人々に語るのか。「和解の務めを私たちに与えてくださった」(18節)、「和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」(20節)、「私たちはキリストの使節なのです」(21節)とある。牧師だけではなく、一人一人が和解の福音を伝える者である。 今年度「家族・友人をキリストの許へ」という目標を掲げて出発した。私たち一人一人が、様々な方法を通して福音を語る者とさせていただこう。
牧師 紺野 真和
パウロが福音宣教をしている姿は人々に狂っているのではないかと映るようなものであった。それは、決しておかしくなって語っていたというのではなく、彼が人間的には理解できない福音を熱心に没頭して語ったということである。そのようにパウロを駆り立てたのは何か。「というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです」(14節)とある。すなわちイエス様の愛、イエス様の十字架の愛が反発される恐れを乗り越えさせて語らせたのである。
パウロの語った福音とは何か。それは和解の福音である。18節、19節に和解という言葉が繰り返し出て来る。和解とは神様と人間の和解である。人間は神様に愛され造られたにもかかわらず、その神様を無視し背を向けて歩んでいる。クリスチャンホームの子供でも最初から神様を信じている者はいない。それを聖書では罪という。神様はその罪のために人間に怒りを燃やされる。この敵対関係の責任はすべて人間にある。従って神様と和解してもらうために人間の側で何かをしなければならないが、私たちには何もできない。そこで神様は和解の手を人間に差し伸ばしてくれた。それは御子イエス様が私たちの罪を背負い、神様の裁きを受けるということによってである。御子の十字架によって、私たちは神様と和解させていただいた。この和解の福音を誰が人々に語るのか。「和解の務めを私たちに与えてくださった」(18節)、「和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」(20節)、「私たちはキリストの使節なのです」(21節)とある。牧師だけではなく、一人一人が和解の福音を伝える者である。 今年度「家族・友人をキリストの許へ」という目標を掲げて出発した。私たち一人一人が、様々な方法を通して福音を語る者とさせていただこう。
by ybible63
| 2014-05-13 15:16
| ★礼拝説教要約