2014年 04月 30日
4月20日説教要約 |
「復活された主」(ヨハネ20章19~31節)
牧師 紺野 真和
弟子たちは、イエス様が十字架につけられて殺されたので、次は自分たちが捕えられるのではと考え、ある家に集まり、鍵を閉め息をひそめて隠れていた。その中に復活されたイエス様が突然現れた。弟子たちはとても喜んだ。しかしその時、弟子の一人のトマスがいなかった。弟子たちはトマスに喜んで「主を見た」と言った。しかしトマスは「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。この時のトマスはどのような心であっただろうか。彼はイエス様を愛していた。従って、イエス様が復活されたことが事実ならどんなに嬉しいことかと思っただろう。弟子たちの言葉を受け止めたいと思っただろう。しかしトマスはどうしても死者の復活を受け入れることができなかった。彼は自分の心に正直であった。私はトマスの気持ちが分かるような気がする。私は人生の中で一度だけある期間神様のことが全く分からなくなったことがあった。その時これまでのように神様をほめたたえたいと思ったが、どうしても心がそれを許さなかった。さて次の日曜日、イエス様は苦しんでいたトマスに現れた。トマスはどんなに喜んだであろう。そして自分の心に正直に「私の主。私の神。」と告白した。ところで、イエス様の復活によって私たちにもたらされたものは何か。それはこの箇所で繰り返しイエス様が語られている「平安」である。イエス様が与えて下さる平安とは、第一にどのような時にもイエス様が共にいて下さるというところからくる平安である。第二に罪が赦され、死後滅びではなく、天国に入ることができるというところからくる平安である。主の平安に満たされて歩ませていただきましょう。
牧師 紺野 真和
弟子たちは、イエス様が十字架につけられて殺されたので、次は自分たちが捕えられるのではと考え、ある家に集まり、鍵を閉め息をひそめて隠れていた。その中に復活されたイエス様が突然現れた。弟子たちはとても喜んだ。しかしその時、弟子の一人のトマスがいなかった。弟子たちはトマスに喜んで「主を見た」と言った。しかしトマスは「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません」と言った。この時のトマスはどのような心であっただろうか。彼はイエス様を愛していた。従って、イエス様が復活されたことが事実ならどんなに嬉しいことかと思っただろう。弟子たちの言葉を受け止めたいと思っただろう。しかしトマスはどうしても死者の復活を受け入れることができなかった。彼は自分の心に正直であった。私はトマスの気持ちが分かるような気がする。私は人生の中で一度だけある期間神様のことが全く分からなくなったことがあった。その時これまでのように神様をほめたたえたいと思ったが、どうしても心がそれを許さなかった。さて次の日曜日、イエス様は苦しんでいたトマスに現れた。トマスはどんなに喜んだであろう。そして自分の心に正直に「私の主。私の神。」と告白した。ところで、イエス様の復活によって私たちにもたらされたものは何か。それはこの箇所で繰り返しイエス様が語られている「平安」である。イエス様が与えて下さる平安とは、第一にどのような時にもイエス様が共にいて下さるというところからくる平安である。第二に罪が赦され、死後滅びではなく、天国に入ることができるというところからくる平安である。主の平安に満たされて歩ませていただきましょう。
by ybible63
| 2014-04-30 08:52
| ★礼拝説教要約