2014年 03月 24日
3月18日説教要約 |
「神の愛」(ルカ15章11節~24節)
牧師 紺野 真和
この箇所は放蕩息子の譬え話と呼ばれている。この話しを実話のように、心理描写を加えながら見ていく。父親と共に暮らしていた弟息子は相続財産を分けてもらうと、遠い国へと旅立った。その時、彼はこれで自分は自由になったと思っただろう。そして遠い国で放蕩三昧な生活をした。彼はお金がたくさんあったので、人々におごり、お金をばらまき、いつも彼の周りには多くの人が集まっていたであろう。そして相続財産を湯水のように使い果たしてしまった。その後不幸にも飢饉が起こり、ようやく豚の世話をする仕事にありついた。彼は豚のえさで空腹を満たしたいほど飢えのために苦しんだ。しかしその苦しみ以上に彼は誰からも愛されないという苦しみにあった。以前彼の周りにいた人々は誰一人として彼を気にかけ愛してくれる人はいなかった。そんな時、彼はわれに返り父の事を思い出した。そして父に謝罪し、雇人の一人にしてもらおうと決心した。彼が家に帰る姿はみじめであった。財産を増やして胸を張って凱旋するわけではなく、無一文であった。又身なりはぼろぼろ、体は汚く悪臭を放っていた。またほとんど食べることができなかったので、力なく、やせ衰えていた。いったいそのよう彼を誰が愛するだろうか。しかし父は彼が戻ってきた時に、息子に駆け寄り、抱擁し口づけした。父は、上辺の息子ではなく、ありのままの息子を、息子の存在自体を愛していた。この譬え話に出てくる父は神様の事、息子は神様から離れた私たちのことを指している。神様はありのままの私たちを、私たちの存在自体を愛してくださっている。しかし背後に大きな犠牲があった。私たちの罪を赦してくださるため、父なる神様は御子を裁き、御子は十字架で命を捧げて下さるという大きな犠牲を払われたのである。
牧師 紺野 真和
この箇所は放蕩息子の譬え話と呼ばれている。この話しを実話のように、心理描写を加えながら見ていく。父親と共に暮らしていた弟息子は相続財産を分けてもらうと、遠い国へと旅立った。その時、彼はこれで自分は自由になったと思っただろう。そして遠い国で放蕩三昧な生活をした。彼はお金がたくさんあったので、人々におごり、お金をばらまき、いつも彼の周りには多くの人が集まっていたであろう。そして相続財産を湯水のように使い果たしてしまった。その後不幸にも飢饉が起こり、ようやく豚の世話をする仕事にありついた。彼は豚のえさで空腹を満たしたいほど飢えのために苦しんだ。しかしその苦しみ以上に彼は誰からも愛されないという苦しみにあった。以前彼の周りにいた人々は誰一人として彼を気にかけ愛してくれる人はいなかった。そんな時、彼はわれに返り父の事を思い出した。そして父に謝罪し、雇人の一人にしてもらおうと決心した。彼が家に帰る姿はみじめであった。財産を増やして胸を張って凱旋するわけではなく、無一文であった。又身なりはぼろぼろ、体は汚く悪臭を放っていた。またほとんど食べることができなかったので、力なく、やせ衰えていた。いったいそのよう彼を誰が愛するだろうか。しかし父は彼が戻ってきた時に、息子に駆け寄り、抱擁し口づけした。父は、上辺の息子ではなく、ありのままの息子を、息子の存在自体を愛していた。この譬え話に出てくる父は神様の事、息子は神様から離れた私たちのことを指している。神様はありのままの私たちを、私たちの存在自体を愛してくださっている。しかし背後に大きな犠牲があった。私たちの罪を赦してくださるため、父なる神様は御子を裁き、御子は十字架で命を捧げて下さるという大きな犠牲を払われたのである。
by ybible63
| 2014-03-24 08:40
| ★礼拝説教要約