2014年 03月 11日
3月2日説教要旨 |
「根本が違うと」(ルカ15章25節~32節)
牧師 紺野真和
放蕩息子の兄は、弟が父の許に帰ってきて、父が祝宴を開いているのを聞いた時に怒った。父は兄息子をなだめるが、兄は父に「長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。それなのに、・・・」と文句を言った。兄の怒りの根本的な原因は何であったのだろうか。兄は、「長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません」と言った。表向きは立派に見えるが、これが怒りや不満を蓄積した原因になったのではないだろうか。恐らく兄は奴隷が主人に仕えるように父に仕えてきたのだろう。兄は父から愛されていること、父と共に働ける喜びから働きをしていたのではなく奴隷奉公をし、これまで我慢して働きを続けてきたのだろう。そのため兄は弟の帰還の祝宴を聞いた時、蓄積されてきた怒りや不満が爆発してしまった。私たちクリスチャンも、もし神様に愛されていること、またイエス様と共に歩める喜びから、主の御用をなすのではなく、ただしなければならないからという動機だけで奉仕するなら、知らず知らずの内に不満や怒りを蓄えていくことになる。そしてその不満や怒りは、神様に向けられたり、あるいはどうして他の人はしないのかと他の人に向けられていく。もし不満で心が満ちているなら、自分の生き方が律法主義的になっていないかどうか点検してみる必要がある。さて、兄息子は父の許に戻る事ができるのだろうか。父は兄息子に「子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ」と言った。父は、「おまえは決して奴隷ではなく、私の愛する子だよ」との思いで言ったのだろう。兄はこの父の愛を受け止めるなら、父の許に戻れる。
牧師 紺野真和
放蕩息子の兄は、弟が父の許に帰ってきて、父が祝宴を開いているのを聞いた時に怒った。父は兄息子をなだめるが、兄は父に「長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。それなのに、・・・」と文句を言った。兄の怒りの根本的な原因は何であったのだろうか。兄は、「長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません」と言った。表向きは立派に見えるが、これが怒りや不満を蓄積した原因になったのではないだろうか。恐らく兄は奴隷が主人に仕えるように父に仕えてきたのだろう。兄は父から愛されていること、父と共に働ける喜びから働きをしていたのではなく奴隷奉公をし、これまで我慢して働きを続けてきたのだろう。そのため兄は弟の帰還の祝宴を聞いた時、蓄積されてきた怒りや不満が爆発してしまった。私たちクリスチャンも、もし神様に愛されていること、またイエス様と共に歩める喜びから、主の御用をなすのではなく、ただしなければならないからという動機だけで奉仕するなら、知らず知らずの内に不満や怒りを蓄えていくことになる。そしてその不満や怒りは、神様に向けられたり、あるいはどうして他の人はしないのかと他の人に向けられていく。もし不満で心が満ちているなら、自分の生き方が律法主義的になっていないかどうか点検してみる必要がある。さて、兄息子は父の許に戻る事ができるのだろうか。父は兄息子に「子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ」と言った。父は、「おまえは決して奴隷ではなく、私の愛する子だよ」との思いで言ったのだろう。兄はこの父の愛を受け止めるなら、父の許に戻れる。
by ybible63
| 2014-03-11 08:35
| ★礼拝説教要約