2014年 03月 04日
2月23日説教要旨 |
罪に対する神の怒り<ローマ1:18~32>
牧師 鳥居 完次
<18>の冒頭「というのは、」に注目。明らかに前節<17>を受け、対になっている。つまり、福音には「神の義」が啓示されており、それ故「神の怒り」が天から啓示されている。
1.福音の出発点は神であり、それは「神の義」が啓示されているところにある。つまり、そもそも福音の原点は「初めに、神が」のすばらしい世界から出発し、そこに福音があった。しかし、人はそれを「初めに、人(物)が」の世界に逆転させてしまい、本来あるべき神との関係(神の義)を歪めた。その不義ゆえに、神の怒りが天から啓示されている。それ故に、
2.福音の必要性も神であり、それは「神の怒り」が天から啓示されているところにある。ある人は、「神が怒る」なんておかしい、いや正しくないと思う。旧約の神は「怒る神」であるが、新約の神は「愛の神」であると言う人さえいる。しかし、神は本来愛であり、義、聖である。途中でその本質を変えたりすることは絶対にない。即ち、神が愛であり、義、聖であるからこそ、罪に対する「神の怒り」は当然のことなのである。でもなぜ、人は前述のような反応をするのか。実は人はすべて、神が義、聖であることを心の奥深いところで知っているゆえに、神に反抗しますます心を暗くしているのである<21>。しかし、それに対して神はそれを強制的に直そうとはされない。いやできない。<24、26、28>の「引き渡され」に表されているように、なすがままにされる他はない。希望は一つしかない。暗くなった心に神の光が差し込むことである。確かに、すべての人を照らすまことの光としてキリストがこの世に来られた。ただただこの救いの福音を信じることができたことを、神に感謝したい。
牧師 鳥居 完次
<18>の冒頭「というのは、」に注目。明らかに前節<17>を受け、対になっている。つまり、福音には「神の義」が啓示されており、それ故「神の怒り」が天から啓示されている。
1.福音の出発点は神であり、それは「神の義」が啓示されているところにある。つまり、そもそも福音の原点は「初めに、神が」のすばらしい世界から出発し、そこに福音があった。しかし、人はそれを「初めに、人(物)が」の世界に逆転させてしまい、本来あるべき神との関係(神の義)を歪めた。その不義ゆえに、神の怒りが天から啓示されている。それ故に、
2.福音の必要性も神であり、それは「神の怒り」が天から啓示されているところにある。ある人は、「神が怒る」なんておかしい、いや正しくないと思う。旧約の神は「怒る神」であるが、新約の神は「愛の神」であると言う人さえいる。しかし、神は本来愛であり、義、聖である。途中でその本質を変えたりすることは絶対にない。即ち、神が愛であり、義、聖であるからこそ、罪に対する「神の怒り」は当然のことなのである。でもなぜ、人は前述のような反応をするのか。実は人はすべて、神が義、聖であることを心の奥深いところで知っているゆえに、神に反抗しますます心を暗くしているのである<21>。しかし、それに対して神はそれを強制的に直そうとはされない。いやできない。<24、26、28>の「引き渡され」に表されているように、なすがままにされる他はない。希望は一つしかない。暗くなった心に神の光が差し込むことである。確かに、すべての人を照らすまことの光としてキリストがこの世に来られた。ただただこの救いの福音を信じることができたことを、神に感謝したい。
by ybible63
| 2014-03-04 08:39
| ★礼拝説教要約