2014年 01月 14日
1月5日礼拝説教要約 |
「主の御前に静まる」(マタイ15章21節)
牧師 紺野真和
私たちの教会は3年前に2010年代ビジョンを掲げ、3年間は内面の成長に力を入れ、いよいよ来年度から外に向かって行こうとしている。今年度の11月~3月までの第一主日の礼拝ではこれまでの振り返りをする。私達は1年目に「主の御前に静まる」というテーマを掲げた。
さてイエス様は15章21節にあるようにツロとシドンに立ちのかれた。何のために立ちのかれたのか。その前の箇所にエルサレムからパリサイ人と律法学者達が議論を仕掛けてきた記事が記されている。既にイエス様と彼らとの間は緊張状態にあった。また当時イエス様はガリラヤにいて多くの人々に福音を伝えたり病の癒しをなさっていた。イエス様の当時の環境は宗教家達から議論を仕掛けられたり群衆に囲まれていて、忙しくまた緊張した状況にあった。その中でツロとシドンに立ちのかれた。その目的は、異邦人宣教のためではなく、しばらくゆっくりとゆったりと父なる神様と交わるためであった。同じ記事を記しているマルコには「だれにも知られたくないと思われた」とある。恐らく、イエス様の公生涯でこれだけゆっくりと父なる神様と交わりをもった事はなかったであろう。しかしイエス様は日常の忙しい日々でも、よく山や荒野に行かれ父なる神様との交わりを持っていた(ルカ4:42、5:15、16、6:12など)。私たちはどうだろうか。私たちは日常の流れに身を委ねてしまう時、イエス様のように主との交わりを持つ事は困難である。イエス様はどうして父なる神様との交わりを持つ事ができたのか。それは優先順位の問題であったのであろう。イエス様にとって父なる神様との交わりが大切なものであり、喜びであったのである。私達も大切なものを大切にして行こう。そして、時にはいつもの場を離れて主との交わりを持とう。
牧師 紺野真和
私たちの教会は3年前に2010年代ビジョンを掲げ、3年間は内面の成長に力を入れ、いよいよ来年度から外に向かって行こうとしている。今年度の11月~3月までの第一主日の礼拝ではこれまでの振り返りをする。私達は1年目に「主の御前に静まる」というテーマを掲げた。
さてイエス様は15章21節にあるようにツロとシドンに立ちのかれた。何のために立ちのかれたのか。その前の箇所にエルサレムからパリサイ人と律法学者達が議論を仕掛けてきた記事が記されている。既にイエス様と彼らとの間は緊張状態にあった。また当時イエス様はガリラヤにいて多くの人々に福音を伝えたり病の癒しをなさっていた。イエス様の当時の環境は宗教家達から議論を仕掛けられたり群衆に囲まれていて、忙しくまた緊張した状況にあった。その中でツロとシドンに立ちのかれた。その目的は、異邦人宣教のためではなく、しばらくゆっくりとゆったりと父なる神様と交わるためであった。同じ記事を記しているマルコには「だれにも知られたくないと思われた」とある。恐らく、イエス様の公生涯でこれだけゆっくりと父なる神様と交わりをもった事はなかったであろう。しかしイエス様は日常の忙しい日々でも、よく山や荒野に行かれ父なる神様との交わりを持っていた(ルカ4:42、5:15、16、6:12など)。私たちはどうだろうか。私たちは日常の流れに身を委ねてしまう時、イエス様のように主との交わりを持つ事は困難である。イエス様はどうして父なる神様との交わりを持つ事ができたのか。それは優先順位の問題であったのであろう。イエス様にとって父なる神様との交わりが大切なものであり、喜びであったのである。私達も大切なものを大切にして行こう。そして、時にはいつもの場を離れて主との交わりを持とう。
by ybible63
| 2014-01-14 08:54
| ★礼拝説教要約