2013年 12月 02日
11月24日説教要約 |
キリストにある逆転の人生<ヘブル13:1~17>
牧師 鳥居 完次
これまで主張されてきた信仰の歩みは、換言すると「宿営の外に出て、みもとに近づいていく」<13>人生である。宿営の内は聖く、外は汚れているとされているのにどうしてか。
1.この地上に永続する都を持っているのではなく、天にある生ける神の都を求めているからである<14>。それは、神が設計し建設された都であり<11:10>、旧約の信仰者があこがれ目ざしてきた信仰の道である。今やその道は、主イエス・キリストの血によって大胆にまことの聖所に入ることができる道へと整えられている<10:19>。それは一見、宿営の中へ入って行くようであるが、実際には逆で、それが「宿営の外に」<13>の生き方である。
2.この地上の見える世界(宿営の中)ではなく、見えない世界(宿営の外)に生きることに徹しよう、という勧めである。確かに、主イエスはイスラエル人社会からすれば宿営の外(汚れた所)で十字架につけられた。しかし問題は、その場所そのものが汚れているわけではなく、大切なのは十字架の出来事が指し示している本質的な意味である。即ち、私たちの目に見えない心の世界(そのひどく汚れた心の中)で、確かに主イエス・キリストは十字架にかかって死なれた。それ故に、私たちはキリストの十字架を身に負って、目に見えない世界(宿営の外)に徹底して生きよう、という勧め・メッセージである。とは言え、現実の世は肉体も相手も物もある目に見える世界であり、この世の基準からすると、それに逆行する生き方かもしれない。しかし、いやだからこそ私たちは、その見える世界ではなく見えない世界に生きることに徹する「逆転の人生」を、「キリストにあって」歩み続けていきたい。
牧師 鳥居 完次
これまで主張されてきた信仰の歩みは、換言すると「宿営の外に出て、みもとに近づいていく」<13>人生である。宿営の内は聖く、外は汚れているとされているのにどうしてか。
1.この地上に永続する都を持っているのではなく、天にある生ける神の都を求めているからである<14>。それは、神が設計し建設された都であり<11:10>、旧約の信仰者があこがれ目ざしてきた信仰の道である。今やその道は、主イエス・キリストの血によって大胆にまことの聖所に入ることができる道へと整えられている<10:19>。それは一見、宿営の中へ入って行くようであるが、実際には逆で、それが「宿営の外に」<13>の生き方である。
2.この地上の見える世界(宿営の中)ではなく、見えない世界(宿営の外)に生きることに徹しよう、という勧めである。確かに、主イエスはイスラエル人社会からすれば宿営の外(汚れた所)で十字架につけられた。しかし問題は、その場所そのものが汚れているわけではなく、大切なのは十字架の出来事が指し示している本質的な意味である。即ち、私たちの目に見えない心の世界(そのひどく汚れた心の中)で、確かに主イエス・キリストは十字架にかかって死なれた。それ故に、私たちはキリストの十字架を身に負って、目に見えない世界(宿営の外)に徹底して生きよう、という勧め・メッセージである。とは言え、現実の世は肉体も相手も物もある目に見える世界であり、この世の基準からすると、それに逆行する生き方かもしれない。しかし、いやだからこそ私たちは、その見える世界ではなく見えない世界に生きることに徹する「逆転の人生」を、「キリストにあって」歩み続けていきたい。
by ybible63
| 2013-12-02 09:48
| ★礼拝説教要約