2013年 10月 29日
10月20日説教要旨 |
~先主日礼拝メッセージ~
「ダビデとヨナタンの別れ」(第一サムエル記20章1~23、35~42節)
牧師 紺野真和
ダビデとヨナタンは深く愛し合っていた。ヨナタンはサウルが高慢の故にダビデを殺そうとしていることを知ると、ダビデを隠れさせ父を説得した。愛するダビデを守るために必死に行動した。このことを通して、サウルのダビデへの憎しみはおさまるが一時であった。再びサウル王はダビデを殺す決意をした。その時もヨナタンは父を説得するが、サウルはヨナタンまでも殺そうとした。そこでダビデはサウルのもとから逃亡することになる。ダビデとヨナタンは深く愛し合っていたが、ダビデはサウルのもとを去り、ヨナタンは自分の命さえ奪おうとした父サウルのもとに帰った。二人は別れた。その別れは、彼らにとって身が引き裂かれるほどつらいものであったであろう。「ふたりは口づけして、抱き合って泣き、ダビデはいっそう激しく泣いた。」(41)とある。どうしてこれ程愛し合っていた二人が別々の行動を取ることができたのか。ダビデはヨナタンに一緒に行ってくださいと頼まなかったし、ヨナタンもダビデに私も一緒に行こうとは言わなかった。それは彼らのこれまでの交わりの仕方にある。23節に「私とあなたが交わしたことばについては、主が私とあなたとの間の永遠の証人です。」とある。直訳では、「主が私とあなたの間に永遠におられます。」である。すなわち彼らは神様を真ん中において交わりをしていた。人の肉の欲は、神様を介さない直接的な触れ合いを求める。べったりという交わりを求める。相手を自分のもとに引きずり込んだり、相手に引きずり込まれたりする交わりになりやすい。しかし、ダビデとヨナタンは、神様を中心にしていたので、神様を通して相手をそして自分を見ていた。だからこそお互いが神様の道を進むことを受け止めることができた。私達も神様を通して兄弟姉妹を見よう。
「ダビデとヨナタンの別れ」(第一サムエル記20章1~23、35~42節)
牧師 紺野真和
ダビデとヨナタンは深く愛し合っていた。ヨナタンはサウルが高慢の故にダビデを殺そうとしていることを知ると、ダビデを隠れさせ父を説得した。愛するダビデを守るために必死に行動した。このことを通して、サウルのダビデへの憎しみはおさまるが一時であった。再びサウル王はダビデを殺す決意をした。その時もヨナタンは父を説得するが、サウルはヨナタンまでも殺そうとした。そこでダビデはサウルのもとから逃亡することになる。ダビデとヨナタンは深く愛し合っていたが、ダビデはサウルのもとを去り、ヨナタンは自分の命さえ奪おうとした父サウルのもとに帰った。二人は別れた。その別れは、彼らにとって身が引き裂かれるほどつらいものであったであろう。「ふたりは口づけして、抱き合って泣き、ダビデはいっそう激しく泣いた。」(41)とある。どうしてこれ程愛し合っていた二人が別々の行動を取ることができたのか。ダビデはヨナタンに一緒に行ってくださいと頼まなかったし、ヨナタンもダビデに私も一緒に行こうとは言わなかった。それは彼らのこれまでの交わりの仕方にある。23節に「私とあなたが交わしたことばについては、主が私とあなたとの間の永遠の証人です。」とある。直訳では、「主が私とあなたの間に永遠におられます。」である。すなわち彼らは神様を真ん中において交わりをしていた。人の肉の欲は、神様を介さない直接的な触れ合いを求める。べったりという交わりを求める。相手を自分のもとに引きずり込んだり、相手に引きずり込まれたりする交わりになりやすい。しかし、ダビデとヨナタンは、神様を中心にしていたので、神様を通して相手をそして自分を見ていた。だからこそお互いが神様の道を進むことを受け止めることができた。私達も神様を通して兄弟姉妹を見よう。
by ybible63
| 2013-10-29 09:14
| ★礼拝説教要約