2013年 10月 09日
9月29日説教要約 |
「ダビデとサウル」(第一サムエル記18章6~30節)
牧師 紺野真和
最初にサウルから見ていく。サウルは王になってから諸外国と戦い勝利を重ねた(14:47)。サウルが王になって何年後か分からないが、ダビデはゴリヤテと戦い勝利し脚光を浴びることになった。ダビデの勝利によって勢いづいたイスラエル軍はペリシテ軍を攻めて行った。その時サウルはダビデを直属の部下にした(18:5)。サウル王のスタンスは勇気のある者、力のある者を召し抱えるというものであった(14:58)。最初、サウル王とダビデとの関係は上手く行っていた。しかしサウル王の凱旋パレードの時に歌われた「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」という歌によって、サウルはダビデを憎み抹殺しようとした。実際、自分の槍であるいはペリシテ人を使って抹殺しようとした。ところでサウルはどうしてこれほど変わったのか?あの歌がサウルの本性をあらわにしたのである。サウルの根っこにあったのは「どうだ。すごいだろう!褒めてくれ。」というものであったのである。ダビデの存在はサウルの「どうだ。すごいだろう!褒めてくれ」という心を危機にさらすものであったので、彼を抹殺しようとした。サウルは、自分の名声を上げるために、勇気や力のある者を重用したのではないか。私たちの心はどうだろう。自己吟味しよう。一方、ダビデはサウルと違いとても謙遜であった。敵国に勝利を重ねても謙遜であった。どうしてダビデは謙遜でいることができたのか。それは人からどう思われるかというよりも、神様から愛されている事実がダビデにとって重要であったからである。神様の愛が彼を謙遜にさせた。私たちは自分の心にある高慢を認め、その罪のためにイエス様が十字架に架かり、その罪を赦してくださったことを感謝して受け止めつつ、神様の愛によって謙遜な者へと変えられて行こう。
牧師 紺野真和
最初にサウルから見ていく。サウルは王になってから諸外国と戦い勝利を重ねた(14:47)。サウルが王になって何年後か分からないが、ダビデはゴリヤテと戦い勝利し脚光を浴びることになった。ダビデの勝利によって勢いづいたイスラエル軍はペリシテ軍を攻めて行った。その時サウルはダビデを直属の部下にした(18:5)。サウル王のスタンスは勇気のある者、力のある者を召し抱えるというものであった(14:58)。最初、サウル王とダビデとの関係は上手く行っていた。しかしサウル王の凱旋パレードの時に歌われた「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」という歌によって、サウルはダビデを憎み抹殺しようとした。実際、自分の槍であるいはペリシテ人を使って抹殺しようとした。ところでサウルはどうしてこれほど変わったのか?あの歌がサウルの本性をあらわにしたのである。サウルの根っこにあったのは「どうだ。すごいだろう!褒めてくれ。」というものであったのである。ダビデの存在はサウルの「どうだ。すごいだろう!褒めてくれ」という心を危機にさらすものであったので、彼を抹殺しようとした。サウルは、自分の名声を上げるために、勇気や力のある者を重用したのではないか。私たちの心はどうだろう。自己吟味しよう。一方、ダビデはサウルと違いとても謙遜であった。敵国に勝利を重ねても謙遜であった。どうしてダビデは謙遜でいることができたのか。それは人からどう思われるかというよりも、神様から愛されている事実がダビデにとって重要であったからである。神様の愛が彼を謙遜にさせた。私たちは自分の心にある高慢を認め、その罪のためにイエス様が十字架に架かり、その罪を赦してくださったことを感謝して受け止めつつ、神様の愛によって謙遜な者へと変えられて行こう。
by ybible63
| 2013-10-09 08:45
| ★礼拝説教要約