2013年 09月 10日
9月8日説教要約 |
真の安心と心のよりどころ<マタイ11:28>
牧師 鳥居 完次
「安心」とは心に心配、不安、恐れがなく心安らかなことである。それは「心のよりどころ」が本来あるべきところに定まっていることから来る。これこそ、万人が切に求めている。
1.「心」とは何か。いや、どこにあるのか。それは単なる脳内現象ではなく、創造主が「いのちの息」を吹き込まれたとき与えられた「神の(永遠の)いのち」である<創2:7>。しかも、それは本来「非常に良かった」<創1:31>。即ち、私たち人間の心は、神のいのちの息(永遠のいのち)のうちにしっかりと結びつき、そこには真の安心(平安)があった。
2.どうして、私たちの心に恐れ、心配、不安があるのか、入ってきたのか。心の真のよりどころである「神のいのち」との交わりから離れたからである。その「罪によって、死が入り」<ローマ5:12>、「神の(永遠の)いのち」を失った。それ故に、本来そこ(一人一人の心)にあった真の安心が失われ、代わりに心に不安、心配、恐れが入ってきたのである。
3.真の安心と心のよりどころを持つことができる道はどこにあるのか。人は誰も自分で真の安心を生み出すことはできない。それができるのは、人に「いのちの息」を吹き込まれた神のみ。そのとおり、神は私たち一人一人に特別仕様の「神の(永遠の)いのち」を、救い主イエス・キリストを通して届けてくださった<ヨハネ3:16>。各自が抱えている問題は、同じようでいて皆違う。神は、一人一人にまさにぴったり合った心の平安を用意し、待っておられる。故に、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と、主イエス様は私たちに呼びかけておられる。
牧師 鳥居 完次
「安心」とは心に心配、不安、恐れがなく心安らかなことである。それは「心のよりどころ」が本来あるべきところに定まっていることから来る。これこそ、万人が切に求めている。
1.「心」とは何か。いや、どこにあるのか。それは単なる脳内現象ではなく、創造主が「いのちの息」を吹き込まれたとき与えられた「神の(永遠の)いのち」である<創2:7>。しかも、それは本来「非常に良かった」<創1:31>。即ち、私たち人間の心は、神のいのちの息(永遠のいのち)のうちにしっかりと結びつき、そこには真の安心(平安)があった。
2.どうして、私たちの心に恐れ、心配、不安があるのか、入ってきたのか。心の真のよりどころである「神のいのち」との交わりから離れたからである。その「罪によって、死が入り」<ローマ5:12>、「神の(永遠の)いのち」を失った。それ故に、本来そこ(一人一人の心)にあった真の安心が失われ、代わりに心に不安、心配、恐れが入ってきたのである。
3.真の安心と心のよりどころを持つことができる道はどこにあるのか。人は誰も自分で真の安心を生み出すことはできない。それができるのは、人に「いのちの息」を吹き込まれた神のみ。そのとおり、神は私たち一人一人に特別仕様の「神の(永遠の)いのち」を、救い主イエス・キリストを通して届けてくださった<ヨハネ3:16>。各自が抱えている問題は、同じようでいて皆違う。神は、一人一人にまさにぴったり合った心の平安を用意し、待っておられる。故に、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」と、主イエス様は私たちに呼びかけておられる。
by ybible63
| 2013-09-10 08:29
| ★礼拝説教要約