2013年 07月 30日
7月21日礼拝説教要約 |
「善悪の知識の木」(創世記2章15節―17節)
キリスト者学生会主事 高木創主事
エデンの園にある木は「どの木からでも思いのまま食べてよ」(16)かった。その木々とは「見るからに好ましく食べるのによいすべての木」(9)であり、「いのちの木」であった。神は永遠のいのちにいたるであろう「いのちの木」をも人に与えてくださっていたのである(創3:22)。私たちは主なる神が人に豊かに与えてくださる神であることに目にとめたい。
では、なぜ主なる神は善悪の知識の木を置いたのだろうか。それは人間に自分自身をわきまえさせるためである。確かにエデンの園の管理を人は任されていた。また木々は思いのまま食べてよかった。ただし人は神ではない。神に造られた被造物であり、その神の言葉を聞いて生きるものである。神様は園の中央にあった善悪の知識の木によって、人が神を見上げることができるようにされた。ところが人は「食べてはならない」という神の命令を守り続けることができなかった(3章)。まるで自分自身で善悪の判断をできるかのような行動をとった。私たちは神との約束を守って生きることができるだろうか。
神は「食べてはならない」という約束を守ることができない人間に新しい約束を結んでくださった。主イエスキリストを信じるものに永遠のいのちを与えるという約束である。それは「食べてはならない」という行いによるのではない。私たちのもとに「善悪の知識の木」はもうない。それはこの方法では永遠のいのちいたることができない人間に、神が主イエスキリストを送ってくださったからである。神に造られた人としての自身をわきまえ、主イエスキリストを見上げる生涯としたい。
キリスト者学生会主事 高木創主事
エデンの園にある木は「どの木からでも思いのまま食べてよ」(16)かった。その木々とは「見るからに好ましく食べるのによいすべての木」(9)であり、「いのちの木」であった。神は永遠のいのちにいたるであろう「いのちの木」をも人に与えてくださっていたのである(創3:22)。私たちは主なる神が人に豊かに与えてくださる神であることに目にとめたい。
では、なぜ主なる神は善悪の知識の木を置いたのだろうか。それは人間に自分自身をわきまえさせるためである。確かにエデンの園の管理を人は任されていた。また木々は思いのまま食べてよかった。ただし人は神ではない。神に造られた被造物であり、その神の言葉を聞いて生きるものである。神様は園の中央にあった善悪の知識の木によって、人が神を見上げることができるようにされた。ところが人は「食べてはならない」という神の命令を守り続けることができなかった(3章)。まるで自分自身で善悪の判断をできるかのような行動をとった。私たちは神との約束を守って生きることができるだろうか。
神は「食べてはならない」という約束を守ることができない人間に新しい約束を結んでくださった。主イエスキリストを信じるものに永遠のいのちを与えるという約束である。それは「食べてはならない」という行いによるのではない。私たちのもとに「善悪の知識の木」はもうない。それはこの方法では永遠のいのちいたることができない人間に、神が主イエスキリストを送ってくださったからである。神に造られた人としての自身をわきまえ、主イエスキリストを見上げる生涯としたい。
by ybible63
| 2013-07-30 08:59
| ★礼拝説教要約