2013年 07月 02日
6月23日メッセージ要旨 |
「ダビデの愛」(Ⅰサムエル記17章31~49節)
牧師 紺野真和
今朝の箇所は、ダビデがペリシテ人の代表戦士ゴリヤテと戦うところである。なぜダビデはゴリヤテと戦ったのか。それは義憤、怒りのためであった。ダビデの言葉に「生ける神の陣をなぶるとは」(26節)とある。ダビデは他のイスラエルの民とは違い、神様がなぶられるのを我慢できなかった。それほど神様を心から愛していた。ダビデの神様の愛はどのように育てられたのか。愛された者が愛する事ができる。幼い頃から青年までダビデは神様の愛を豊かに受けとめたのである。神様の愛を受けとめたいくつかの事がある。一つは神様からの油注ぎを通してである。ダビデは残念ながら家族から軽く見られていた。ダビデが父から言われ戦場に食糧を届けに来た時、兄は「おまえのうぬぼれと悪い心がわかっている」と言った。兄はダビデをずっとそのように見ていた。また父エッサイはサムエルが子供達を連れてきなさいと言う時に、ダビデだけ連れて行かなかった。父はダビデを軽く見ていた。しかしそのダビデを神様は選び油を注いだ。この事を通して神様の愛を知ったであろう。又ダビデは自然を通して神様の愛を知った。彼の作った詩篇を見るとダビデが感受性豊かでよく自然を観察していた事が分かる。偉大な自然を造られた神様が自分を愛している事に日々感動していた。又ダビデは日常生活の中から神様の愛を感じていた。彼は羊を助けるために獅子や熊に襲われる事があった。その時彼は神様が自分を救ってくださったと語る。ダビデは日常のすべての事を通して神様の愛を知った。又ダビデは心から羊を愛し育てた。羊を牧草地、泉に連れて行き、怪我や病気から守った。自分が羊にこのような事をするなら、まして神様は自分に対してと想像したのではないか。ダビデは生活の全てを通して神様の愛を知った。
牧師 紺野真和
今朝の箇所は、ダビデがペリシテ人の代表戦士ゴリヤテと戦うところである。なぜダビデはゴリヤテと戦ったのか。それは義憤、怒りのためであった。ダビデの言葉に「生ける神の陣をなぶるとは」(26節)とある。ダビデは他のイスラエルの民とは違い、神様がなぶられるのを我慢できなかった。それほど神様を心から愛していた。ダビデの神様の愛はどのように育てられたのか。愛された者が愛する事ができる。幼い頃から青年までダビデは神様の愛を豊かに受けとめたのである。神様の愛を受けとめたいくつかの事がある。一つは神様からの油注ぎを通してである。ダビデは残念ながら家族から軽く見られていた。ダビデが父から言われ戦場に食糧を届けに来た時、兄は「おまえのうぬぼれと悪い心がわかっている」と言った。兄はダビデをずっとそのように見ていた。また父エッサイはサムエルが子供達を連れてきなさいと言う時に、ダビデだけ連れて行かなかった。父はダビデを軽く見ていた。しかしそのダビデを神様は選び油を注いだ。この事を通して神様の愛を知ったであろう。又ダビデは自然を通して神様の愛を知った。彼の作った詩篇を見るとダビデが感受性豊かでよく自然を観察していた事が分かる。偉大な自然を造られた神様が自分を愛している事に日々感動していた。又ダビデは日常生活の中から神様の愛を感じていた。彼は羊を助けるために獅子や熊に襲われる事があった。その時彼は神様が自分を救ってくださったと語る。ダビデは日常のすべての事を通して神様の愛を知った。又ダビデは心から羊を愛し育てた。羊を牧草地、泉に連れて行き、怪我や病気から守った。自分が羊にこのような事をするなら、まして神様は自分に対してと想像したのではないか。ダビデは生活の全てを通して神様の愛を知った。
by ybible63
| 2013-07-02 08:35
| ★礼拝説教要約