2013年 06月 25日
6月16日説教要旨 |
いっしょに集まり励まし合う<ヘブル10:19~31>
牧師 鳥居 完次
ヘブル書は、今朝の箇所以降、これまでの論述の適用としての勧告・命令のことばが繰り返される。早速その勧告が<22~25>にあり、特に<25>には教会の本来あるべき姿がある。
1.神に近づくことは、私たちがお互いに近づくことである。とは言え、神に近づく(交わる)という意味の完全版は、本来あった。何よりも、三位一体の神ご自身の中にその原型がある。その神のかたちとして、私たち人間が造られた。しかし、人は罪によって神から離れた。それによって、造り主なる神ご自身との間に築かれていた関係(正三角形)が壊れた。しかしながら、御子イエス・キリストの十字架によって、神との関係を回復する新しい生ける道が設けられた<20>。即ち、私たちが主の十字架を見上げることによって神に近づく(深く交わる)ことは、私たちお互いが近づく(交わりが深まる)ことなのである。それは結局、
2.私たち一人一人が神に近づくことによって、神から力強い励ましを受けることができるが、しかし、それは同時に私たちがお互いに励まし合うことにつながる(つながっていかなければならない)ということである<25>。ここに教会(礼拝)の本来あるべき姿がある。これこそが、礼拝において語られるみことばとともにおられる御霊の恵みである。「励ます」とは、傍らに来て助け慰めてくださる方(真理の御霊)のことだからである。故に、私たち一人一人がしっかりとこの御霊ご自身を心の聖所に受け入れ、それをまさに「神の家(教会)」<21>の礼拝の場で共有する(交わる)ことによって、その恵み(単に個人的に神から力強い励ましを受けるだけでなく、お互いに励まし合う)を体現(実感、経験)していきたい。
牧師 鳥居 完次
ヘブル書は、今朝の箇所以降、これまでの論述の適用としての勧告・命令のことばが繰り返される。早速その勧告が<22~25>にあり、特に<25>には教会の本来あるべき姿がある。
1.神に近づくことは、私たちがお互いに近づくことである。とは言え、神に近づく(交わる)という意味の完全版は、本来あった。何よりも、三位一体の神ご自身の中にその原型がある。その神のかたちとして、私たち人間が造られた。しかし、人は罪によって神から離れた。それによって、造り主なる神ご自身との間に築かれていた関係(正三角形)が壊れた。しかしながら、御子イエス・キリストの十字架によって、神との関係を回復する新しい生ける道が設けられた<20>。即ち、私たちが主の十字架を見上げることによって神に近づく(深く交わる)ことは、私たちお互いが近づく(交わりが深まる)ことなのである。それは結局、
2.私たち一人一人が神に近づくことによって、神から力強い励ましを受けることができるが、しかし、それは同時に私たちがお互いに励まし合うことにつながる(つながっていかなければならない)ということである<25>。ここに教会(礼拝)の本来あるべき姿がある。これこそが、礼拝において語られるみことばとともにおられる御霊の恵みである。「励ます」とは、傍らに来て助け慰めてくださる方(真理の御霊)のことだからである。故に、私たち一人一人がしっかりとこの御霊ご自身を心の聖所に受け入れ、それをまさに「神の家(教会)」<21>の礼拝の場で共有する(交わる)ことによって、その恵み(単に個人的に神から力強い励ましを受けるだけでなく、お互いに励まし合う)を体現(実感、経験)していきたい。
by ybible63
| 2013-06-25 08:42
| ★礼拝説教要約