2013年 06月 18日
6月9日説教要旨 |
「何を見ていますか」(第一サムエル記16章1~13節)
牧師 紺野真和
今日は、教会学校聖日として捧げられる礼拝なので、子育てのことを見ていく。今朝の聖書の箇所に「人はうわべを見るが、主は心を見る」と記されている。またイエス様はこの地上の生涯で人々の心をご覧になられた。さて、私たちは子供たちの何を見ているか。目に見えるところ、成績がどうか、運動会で何等であるかなどばかりを見ていることはないか。この社会が目に見えるところばかりを大切にしたり、競争社会であるために私たちもその影響を受けてやすい。しかし私たちが見るべきところは子供たちの内面、心である。どのようにして心を知る事ができるのか。ある程度大きくなったら子供たちの話す言葉を通して知る。そのために親は子供たちが自分の本心を話しやすい雰囲気を作る必要がある。その雰囲気の第一は何を話しても否定されたり、裁かれたりせず、受け止めてもらえるというものである。第二は親も自分の弱さや失敗を伝えるところから来るものである。第三はいつでも子供の言葉に耳を傾けるというものである。そのような雰囲気があるなら、子供は自分の心を親に話しやすくなる。それでは、どうして子どもの心を知る必要があるのか。第一に子供を励まし、支えるためである。子供はこの社会の中で傷つく。その心を親に知ってもらう事を通して支えられていく。第二は子供の成長のためである。子供の目に見えるところが良くても心が歪んでいる場合がある。聖書に出てくる律法学者やパリサイ人のような場合がある。親は子どもの心を聞く事を通して現状を知り、整えていく必要がある。第三は親のためである。子供は親の事を心から愛している。子供の心を知る時、親は子供から愛されている事を知る。そのことを通して親は励まされる。私たちは子供達の何を見ているのか。
牧師 紺野真和
今日は、教会学校聖日として捧げられる礼拝なので、子育てのことを見ていく。今朝の聖書の箇所に「人はうわべを見るが、主は心を見る」と記されている。またイエス様はこの地上の生涯で人々の心をご覧になられた。さて、私たちは子供たちの何を見ているか。目に見えるところ、成績がどうか、運動会で何等であるかなどばかりを見ていることはないか。この社会が目に見えるところばかりを大切にしたり、競争社会であるために私たちもその影響を受けてやすい。しかし私たちが見るべきところは子供たちの内面、心である。どのようにして心を知る事ができるのか。ある程度大きくなったら子供たちの話す言葉を通して知る。そのために親は子供たちが自分の本心を話しやすい雰囲気を作る必要がある。その雰囲気の第一は何を話しても否定されたり、裁かれたりせず、受け止めてもらえるというものである。第二は親も自分の弱さや失敗を伝えるところから来るものである。第三はいつでも子供の言葉に耳を傾けるというものである。そのような雰囲気があるなら、子供は自分の心を親に話しやすくなる。それでは、どうして子どもの心を知る必要があるのか。第一に子供を励まし、支えるためである。子供はこの社会の中で傷つく。その心を親に知ってもらう事を通して支えられていく。第二は子供の成長のためである。子供の目に見えるところが良くても心が歪んでいる場合がある。聖書に出てくる律法学者やパリサイ人のような場合がある。親は子どもの心を聞く事を通して現状を知り、整えていく必要がある。第三は親のためである。子供は親の事を心から愛している。子供の心を知る時、親は子供から愛されている事を知る。そのことを通して親は励まされる。私たちは子供達の何を見ているのか。
by ybible63
| 2013-06-18 08:53
| ★礼拝説教要約