2013年 04月 23日
4月14日礼拝説教要約 |
古い契約の限界<ヘブル9:1~10>
牧師 鳥居 完次
ここには、前章の問題点の続きとして、古い契約(初めの契約)の欠け(限界の部分)の具体的内容が取り上げられている。細かい律法に基づいて、きよめの儀式が行われていたが、
1.古い契約におけるささげ物といけにえとでは、礼拝者の良心を完全にすることができない<9>ということである。良心とは、私たちすべてにある善悪の感覚(神の愛の律法がかすかに聞こえる、うっすら見える)を備えた心と言える。しかし、律法に基づく罪のきよめの儀式をどれほどまじめに丁寧に行っても、罪によって汚れた良心を完全にきよくすることはできない。つまり、律法に基づいていけにえの血をどんなにふりかけても、それは人の心の中には届かない、ということである。汚れた良心をきよめることができないのである。
2.新しい契約が立てられることによって、良心の完全なきよめが実現した。新しい契約の仲介者として来られた主イエス・キリストが、まことの大祭司として十字架の上で、傷のないご自身の血を流されたことによって、私たち罪人の良心がきよめられる道が完成したのである。今やこのキリストを信じる者には、キリストの十字架による新しい契約の血が心に注ぎかけられ、罪の完全な赦し(良心の完全なきよめ)に与ることができる道が提供された。とは言え、それは信じる者の良心がきよめられたということであって、それで罪を全く犯さなくなったわけではない。しかし、その罪の赦し(良心のきよめ)を確認できる道も用意されているのである<Ⅰヨハネ1:9>。新しい契約の仲介者である主イエス・キリストへの信仰を通して、神ご自身との親しい愛の交わりをますます深めていく者でありたい<10:22>。
牧師 鳥居 完次
ここには、前章の問題点の続きとして、古い契約(初めの契約)の欠け(限界の部分)の具体的内容が取り上げられている。細かい律法に基づいて、きよめの儀式が行われていたが、
1.古い契約におけるささげ物といけにえとでは、礼拝者の良心を完全にすることができない<9>ということである。良心とは、私たちすべてにある善悪の感覚(神の愛の律法がかすかに聞こえる、うっすら見える)を備えた心と言える。しかし、律法に基づく罪のきよめの儀式をどれほどまじめに丁寧に行っても、罪によって汚れた良心を完全にきよくすることはできない。つまり、律法に基づいていけにえの血をどんなにふりかけても、それは人の心の中には届かない、ということである。汚れた良心をきよめることができないのである。
2.新しい契約が立てられることによって、良心の完全なきよめが実現した。新しい契約の仲介者として来られた主イエス・キリストが、まことの大祭司として十字架の上で、傷のないご自身の血を流されたことによって、私たち罪人の良心がきよめられる道が完成したのである。今やこのキリストを信じる者には、キリストの十字架による新しい契約の血が心に注ぎかけられ、罪の完全な赦し(良心の完全なきよめ)に与ることができる道が提供された。とは言え、それは信じる者の良心がきよめられたということであって、それで罪を全く犯さなくなったわけではない。しかし、その罪の赦し(良心のきよめ)を確認できる道も用意されているのである<Ⅰヨハネ1:9>。新しい契約の仲介者である主イエス・キリストへの信仰を通して、神ご自身との親しい愛の交わりをますます深めていく者でありたい<10:22>。
by ybible63
| 2013-04-23 15:11
| ★礼拝説教要約