2013年 03月 18日
3月10日礼拝説教 |
<ヘブル7:11~28>
完全・永遠の大祭司イエス
牧師 鳥居 完次
今日の聖書箇所には、イエス・キリストが完全・永遠の救いをもたらす大祭司であることが記されている。では、その「完全な救い(完全に救う)」とはどういう意味の「救い」か。
1.キリストは、罪からの完全な救い(根本的な救い)に導いてくださった大祭司である。他の大祭司たちとは違い、罪のないキリストにはまず自分の罪のために、その次に民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はない。キリストは自分自身をいけにえとしてささげ、ただ一度で完全な救いを成し遂げられたのである。それ故、キリストは、ご自身を通して神に近づこうとする者たちの罪を完全にきよめ、完全に救うことができる大祭司なのである。
2.キリストは、永遠の慰め・励まし(日常的な救い)に導いてくださった大祭司である。いつの時代にあっても、人々が求めているものは「日常生活でたとえどんなことが起こったとしても、そこに決して変わることのない永遠の慰め・励ましがある」という完全な救いである。世の人々は、絶対に色あせない永遠の慰め・励まし(日常生活の完全な救い)を見出そうと躍起になっている。実は、この完全な救いを届けてくださるために、キリストはこの世に来られた。即ち、私たちの主イエス・キリストは、私たちの罪のために十字架にかかり、死んで葬られた。しかし、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、今や全能の神の右に座して、私たちのためにとりなしをしておられる。それ故、キリストは、私たちがこの世にあってどんな状況に置かれたとしても、そこに決して変わることのない永遠の慰め・励ましに与ることができるようとりなしてくださる、完全な大祭司・永遠の大祭司なのである。
完全・永遠の大祭司イエス
牧師 鳥居 完次
今日の聖書箇所には、イエス・キリストが完全・永遠の救いをもたらす大祭司であることが記されている。では、その「完全な救い(完全に救う)」とはどういう意味の「救い」か。
1.キリストは、罪からの完全な救い(根本的な救い)に導いてくださった大祭司である。他の大祭司たちとは違い、罪のないキリストにはまず自分の罪のために、その次に民の罪のために毎日いけにえをささげる必要はない。キリストは自分自身をいけにえとしてささげ、ただ一度で完全な救いを成し遂げられたのである。それ故、キリストは、ご自身を通して神に近づこうとする者たちの罪を完全にきよめ、完全に救うことができる大祭司なのである。
2.キリストは、永遠の慰め・励まし(日常的な救い)に導いてくださった大祭司である。いつの時代にあっても、人々が求めているものは「日常生活でたとえどんなことが起こったとしても、そこに決して変わることのない永遠の慰め・励ましがある」という完全な救いである。世の人々は、絶対に色あせない永遠の慰め・励まし(日常生活の完全な救い)を見出そうと躍起になっている。実は、この完全な救いを届けてくださるために、キリストはこの世に来られた。即ち、私たちの主イエス・キリストは、私たちの罪のために十字架にかかり、死んで葬られた。しかし、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、今や全能の神の右に座して、私たちのためにとりなしをしておられる。それ故、キリストは、私たちがこの世にあってどんな状況に置かれたとしても、そこに決して変わることのない永遠の慰め・励ましに与ることができるようとりなしてくださる、完全な大祭司・永遠の大祭司なのである。
by ybible63
| 2013-03-18 14:36
| ★礼拝説教要約