2013年 02月 19日
2月17日礼拝説教 |
成熟を目ざして進もう<ヘブル5:11~6:20>
牧師 鳥居 完次
ヘブル書の著者は本論から離れ、「成熟を目ざして進もう」と呼びかけている。続けて、
「それは救いにつながることだ」<6:9>と言う。どういう意味の成熟が期待されているか。
1.最終的救いの完成の希望につながる成熟への道。私たちの希望であるイエス・キリストについてよく知って欲しい、ということである。言わば、キリストについて教理的に知る。つまり、真の大祭司としてのキリストの十字架、復活、昇天に伴う事実をしっかりと受け止めることである。それによって、十分な確信を持つ(持ち続ける)ことができるからである<6:11>。それが、来るべき時に最終的救いにつながる成熟の道である。しかし、同時に
2.現在における救いの実としての成長につながる成熟への道に進むよう、促されている。実は、それこそ真の大祭司としてのキリストを知ることにつきる。何故なら、罪人の私たちのために十字架にかかり復活された救い主イエス・キリストが、今やそれを信じる私たちの心の至聖所に入って、まさに永遠のメルキゼデクの位に等しい大祭司として日々執り成してくださっているからである<6:19~20>。それ故に、その大祭司キリストを知る(個人的に交わる)ことによって、私たちは日ごとに「力強い励ましを受ける」ことができる<6:18>。そこに、私たちの心(魂)が現実に日々成長(成熟)して行ける決定的根拠がある。だからこそ、ヘブル書の著者は、「ですから、私たちは‥‥成熟を目ざして進もうではありませんか」<6:1>と勧めているのである。しかも、「私たちは」とあることからして、それはヘブル書の著者も例外ではなく、共に成長し、成熟を目ざして進もうということである。
牧師 鳥居 完次
ヘブル書の著者は本論から離れ、「成熟を目ざして進もう」と呼びかけている。続けて、
「それは救いにつながることだ」<6:9>と言う。どういう意味の成熟が期待されているか。
1.最終的救いの完成の希望につながる成熟への道。私たちの希望であるイエス・キリストについてよく知って欲しい、ということである。言わば、キリストについて教理的に知る。つまり、真の大祭司としてのキリストの十字架、復活、昇天に伴う事実をしっかりと受け止めることである。それによって、十分な確信を持つ(持ち続ける)ことができるからである<6:11>。それが、来るべき時に最終的救いにつながる成熟の道である。しかし、同時に
2.現在における救いの実としての成長につながる成熟への道に進むよう、促されている。実は、それこそ真の大祭司としてのキリストを知ることにつきる。何故なら、罪人の私たちのために十字架にかかり復活された救い主イエス・キリストが、今やそれを信じる私たちの心の至聖所に入って、まさに永遠のメルキゼデクの位に等しい大祭司として日々執り成してくださっているからである<6:19~20>。それ故に、その大祭司キリストを知る(個人的に交わる)ことによって、私たちは日ごとに「力強い励ましを受ける」ことができる<6:18>。そこに、私たちの心(魂)が現実に日々成長(成熟)して行ける決定的根拠がある。だからこそ、ヘブル書の著者は、「ですから、私たちは‥‥成熟を目ざして進もうではありませんか」<6:1>と勧めているのである。しかも、「私たちは」とあることからして、それはヘブル書の著者も例外ではなく、共に成長し、成熟を目ざして進もうということである。
by ybible63
| 2013-02-19 10:10
| ★礼拝説教要約