2013年 01月 16日
1月6日説教要約 |
「私たちの教会の目指すこと」(エゼキエル40章1~4節)
牧師 紺野真和
2013年最初の第一主日にエゼキエル書を通して、私達の教会の目指す事を確認する。神様はバビロン捕囚にあったユダヤ人達のために、エゼキエルに幻を見せ、将来のイスラエルの姿を示された。その幻は大きく分けて、主が臨在される神殿の幻、12部族が共に住む幻、神殿から流れ出る水によって荒野と死海が潤う三つの幻である。
1、主が臨在される神殿の幻。その神殿はソロモンが建てたものよりすばらしいものであった。そして主が臨在された。この幻を通してエゼキエルは民が主を愛し、主をほめたたえる姿を想像したであろう。私達が主を愛する鍵となる内面の成長がいくつかある(私達は最初の三年間内面の成長に主に力を入れている)。それは主を豊かに知る事、信仰の歪みが修正される事等である。私達は2010年代ビジョンの最初の年にみことば、日常生活の恵み、被造物の恵み、人生の恵みを思い巡らす事を通して主の愛を受け止めた。また今年度は「健全な信仰を育てよう」というテーマの許で修正が必要な所に気づかせていただいている。
2、12部族が共に住む幻。エゼキエルは12の部族の名前が門に付けられている町の幻を見た。それは全ての民が共に住む事を示唆している。私達は子供からお年寄りまで互いの存在を喜び合う交わりを目指している。その鍵は「弱さ」である。本物の家族は弱さを含めて受入れ合う。私達は良いところだけではなく弱さも受入れ合う交わりを目指す。
3、荒野と死海が命を得る幻。エゼキエルは神殿から流れ出る水によって荒地に木が、死海に魚が住む幻を見た。私達は主の愛に満ちた私達を通して人々に祝福がもたらされていく事を目指す。その祝福とは人々が救われる事(特別恩寵)とその他の喜び(一般恩寵)である。
牧師 紺野真和
2013年最初の第一主日にエゼキエル書を通して、私達の教会の目指す事を確認する。神様はバビロン捕囚にあったユダヤ人達のために、エゼキエルに幻を見せ、将来のイスラエルの姿を示された。その幻は大きく分けて、主が臨在される神殿の幻、12部族が共に住む幻、神殿から流れ出る水によって荒野と死海が潤う三つの幻である。
1、主が臨在される神殿の幻。その神殿はソロモンが建てたものよりすばらしいものであった。そして主が臨在された。この幻を通してエゼキエルは民が主を愛し、主をほめたたえる姿を想像したであろう。私達が主を愛する鍵となる内面の成長がいくつかある(私達は最初の三年間内面の成長に主に力を入れている)。それは主を豊かに知る事、信仰の歪みが修正される事等である。私達は2010年代ビジョンの最初の年にみことば、日常生活の恵み、被造物の恵み、人生の恵みを思い巡らす事を通して主の愛を受け止めた。また今年度は「健全な信仰を育てよう」というテーマの許で修正が必要な所に気づかせていただいている。
2、12部族が共に住む幻。エゼキエルは12の部族の名前が門に付けられている町の幻を見た。それは全ての民が共に住む事を示唆している。私達は子供からお年寄りまで互いの存在を喜び合う交わりを目指している。その鍵は「弱さ」である。本物の家族は弱さを含めて受入れ合う。私達は良いところだけではなく弱さも受入れ合う交わりを目指す。
3、荒野と死海が命を得る幻。エゼキエルは神殿から流れ出る水によって荒地に木が、死海に魚が住む幻を見た。私達は主の愛に満ちた私達を通して人々に祝福がもたらされていく事を目指す。その祝福とは人々が救われる事(特別恩寵)とその他の喜び(一般恩寵)である。
by ybible63
| 2013-01-16 09:48
| ★礼拝説教要約