2013年 01月 08日
12月30日説教要約 |
「主の恵み」(詩篇103篇1~22節)
牧師 紺野真和
詩篇作者は「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(2節)と語る。作者が主の良くしてくださったこととして受け止めていることは何か。3節から5節に「あなたの咎を赦し、病をいやし、いのちを穴から贖い、恵みとあわれみの冠をかぶらせ」とあるので、それは罪の赦し、病のいやし、日常生活の具体的な様々な祝福のことである。そして「あなたの(作者自身)」とあるようにこれは個人的に降り注がれた恵みである。しかし、作者はこの詩篇で個人的にあった主の恵みだけを振り返っているのではない。「主はご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らせた。」(7節)とある。ご自身の道、そのみわざとは、エジプトで奴隷であったイスラエルの民が、エジプトを脱出し、約束の地に入るまでの救いのみわざのことであろう。作者は個人に降り注がれた恵みだけではなく、イスラエル全体にあった恵みにも目を留めている。このことは私たちに教会に降り注がれた神様の恵みを受け止める大切さを教えている。私たちは、この一年どのような恵みが降り注がれたか。振り返ってみる時に、悲しみを通らされたこともあったが、主の恵みが確かにあったことを覚えさせられる。そして私たちが主の恵みとして最も覚えておく必要があることは、罪の赦しである。私たちはイエス様の十字架と復活によって義と認められたが、依然として古い自己中心が存在している。しかし詩篇作者が「私たちの咎にしたがって、私たちに報いることもない。」(10節)と語るように、神様は私たちの罪に従って私たちに報いることをされなかった。罪の赦しの恵みを心から感謝しよう。
なぜ私達は主の恵みを振り返る必要があるのか。それは主をほめたたえるためである。
牧師 紺野真和
詩篇作者は「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(2節)と語る。作者が主の良くしてくださったこととして受け止めていることは何か。3節から5節に「あなたの咎を赦し、病をいやし、いのちを穴から贖い、恵みとあわれみの冠をかぶらせ」とあるので、それは罪の赦し、病のいやし、日常生活の具体的な様々な祝福のことである。そして「あなたの(作者自身)」とあるようにこれは個人的に降り注がれた恵みである。しかし、作者はこの詩篇で個人的にあった主の恵みだけを振り返っているのではない。「主はご自身の道をモーセに、そのみわざをイスラエルの子らに知らせた。」(7節)とある。ご自身の道、そのみわざとは、エジプトで奴隷であったイスラエルの民が、エジプトを脱出し、約束の地に入るまでの救いのみわざのことであろう。作者は個人に降り注がれた恵みだけではなく、イスラエル全体にあった恵みにも目を留めている。このことは私たちに教会に降り注がれた神様の恵みを受け止める大切さを教えている。私たちは、この一年どのような恵みが降り注がれたか。振り返ってみる時に、悲しみを通らされたこともあったが、主の恵みが確かにあったことを覚えさせられる。そして私たちが主の恵みとして最も覚えておく必要があることは、罪の赦しである。私たちはイエス様の十字架と復活によって義と認められたが、依然として古い自己中心が存在している。しかし詩篇作者が「私たちの咎にしたがって、私たちに報いることもない。」(10節)と語るように、神様は私たちの罪に従って私たちに報いることをされなかった。罪の赦しの恵みを心から感謝しよう。
なぜ私達は主の恵みを振り返る必要があるのか。それは主をほめたたえるためである。
by ybible63
| 2013-01-08 11:12
| ★礼拝説教要約