2012年 12月 19日
12月9日説教要約 |
理解を越えた大いなる事<エレミヤ33:1~16>
牧師 鳥居 完次
クリスマスを迎えるこのとき、主イエス・キリストの御降誕、到来、その真の意味を確かめつつ、主からのメッセージ(エレミヤをとおして語りかけておられる)に耳を傾けたい。
1.エレミヤは、ユダの民にさばきのメッセージを語った。しかし、民は全く聞く耳をもっていなかった。しかし、それでもエレミヤの預言者しての使命は、来るべき本当のさばきを語らざるを得ない。彼はそれを涙ながらに語ったのである。しかしながら、エレミヤ書のメッセージの中心は福音である。即ち、大いなる日についてのよきおとずれがちりばめられ、その一つが<33:14~16>にある。ここにある「正義の若枝」は、救い主イエス・キリストのことであり、エレミヤはまさにユダの民の「理解を越えた大いなる」救いの預言を語った。
2.今や私たちは、キリストの十字架の血で捺印された福音を信じ受け入れることによって、驚くべき救いが実現した。しかし、それは私たちの心の中に起こった霊的神の国の到来であり、文字通り目に見える形の神の国ではない。その実現は主イエス・キリストの再臨によってもたらされることがわかる<黙示録21:2>。実は、エレミヤはそれを「その日、その時」<33:15>の約束の中に、同時に見ている。その意味では、キリストの初臨も再臨も、まさに私たちの「理解を越えた大いなる事」であり、その狭間にある私たちの信仰生活もまたその支配下にある。とは言え、私たちの現実はそれこそ理解に苦しむこともある。しかし、私たちの現場が今たとえどうであれ、みことばの約束の確かさを再確認するとき、主が一人一人になそうとしておられる「理解を越えた大いなる事」を私たちは待ち望むことができる。
牧師 鳥居 完次
クリスマスを迎えるこのとき、主イエス・キリストの御降誕、到来、その真の意味を確かめつつ、主からのメッセージ(エレミヤをとおして語りかけておられる)に耳を傾けたい。
1.エレミヤは、ユダの民にさばきのメッセージを語った。しかし、民は全く聞く耳をもっていなかった。しかし、それでもエレミヤの預言者しての使命は、来るべき本当のさばきを語らざるを得ない。彼はそれを涙ながらに語ったのである。しかしながら、エレミヤ書のメッセージの中心は福音である。即ち、大いなる日についてのよきおとずれがちりばめられ、その一つが<33:14~16>にある。ここにある「正義の若枝」は、救い主イエス・キリストのことであり、エレミヤはまさにユダの民の「理解を越えた大いなる」救いの預言を語った。
2.今や私たちは、キリストの十字架の血で捺印された福音を信じ受け入れることによって、驚くべき救いが実現した。しかし、それは私たちの心の中に起こった霊的神の国の到来であり、文字通り目に見える形の神の国ではない。その実現は主イエス・キリストの再臨によってもたらされることがわかる<黙示録21:2>。実は、エレミヤはそれを「その日、その時」<33:15>の約束の中に、同時に見ている。その意味では、キリストの初臨も再臨も、まさに私たちの「理解を越えた大いなる事」であり、その狭間にある私たちの信仰生活もまたその支配下にある。とは言え、私たちの現実はそれこそ理解に苦しむこともある。しかし、私たちの現場が今たとえどうであれ、みことばの約束の確かさを再確認するとき、主が一人一人になそうとしておられる「理解を越えた大いなる事」を私たちは待ち望むことができる。
by ybible63
| 2012-12-19 08:40
| ★礼拝説教要約