2012年 12月 04日
11月25日礼拝説教 |
きょう御声を聞くならば<ヘブル3:1~19>
牧師 鳥居 完次
ヘブル書の中心は、御子イエス・キリストの救い・その際立ったすばらしさである。3章は、モーセと御子イエス・キリストとの比較において主の救いのすばらしさが語られている。
1.御子イエス・キリストはモーセにまさる解放者、救い主である。確かにモーセは、神の民イスラエルが奴隷の状態としてあったエジプトから彼らを導き出すために、実に忠実な働きをした。しかし、御子イエス・キリストは、全人類がまさに罪と死の恐怖の奴隷状態であったところからの解放のために、十字架でその働きを全うされた。つまり、御子イエス・キリストはモーセにまさる、いや真の完全な導き手、解放者、救助者、救い主なのである。
2.きょうその御声を聞くならば、心をかたくなにしてはならない。この部分は詩篇95篇(前半は神礼拝への呼びかけ、後半は神に対する不従順への警告)の引用である。この前半後半の境目<7>「主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。」に、注目させられる。私たちの神礼拝に於いてこの信仰告白を共有できるなら、きょう語っておられる「御声」は、確かに私たちを罪と死の奴隷状態から救い導き出してくださったまことの羊飼い(主イエス・キリスト)の声であることがわかる。では、その具体的な警告、勧告は何か。7つの教会に書き送られた使信<黙示2~3章>にある。「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」<黙2:10>。これこそが、<ヘブル3:14>で約束されていることと同じである。モーセの忠実さは主イエス・キリストにおいて成就されているが、その忠実さが私たちへ重ねられていくことが期待されている。
牧師 鳥居 完次
ヘブル書の中心は、御子イエス・キリストの救い・その際立ったすばらしさである。3章は、モーセと御子イエス・キリストとの比較において主の救いのすばらしさが語られている。
1.御子イエス・キリストはモーセにまさる解放者、救い主である。確かにモーセは、神の民イスラエルが奴隷の状態としてあったエジプトから彼らを導き出すために、実に忠実な働きをした。しかし、御子イエス・キリストは、全人類がまさに罪と死の恐怖の奴隷状態であったところからの解放のために、十字架でその働きを全うされた。つまり、御子イエス・キリストはモーセにまさる、いや真の完全な導き手、解放者、救助者、救い主なのである。
2.きょうその御声を聞くならば、心をかたくなにしてはならない。この部分は詩篇95篇(前半は神礼拝への呼びかけ、後半は神に対する不従順への警告)の引用である。この前半後半の境目<7>「主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。」に、注目させられる。私たちの神礼拝に於いてこの信仰告白を共有できるなら、きょう語っておられる「御声」は、確かに私たちを罪と死の奴隷状態から救い導き出してくださったまことの羊飼い(主イエス・キリスト)の声であることがわかる。では、その具体的な警告、勧告は何か。7つの教会に書き送られた使信<黙示2~3章>にある。「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」<黙2:10>。これこそが、<ヘブル3:14>で約束されていることと同じである。モーセの忠実さは主イエス・キリストにおいて成就されているが、その忠実さが私たちへ重ねられていくことが期待されている。
by ybible63
| 2012-12-04 08:53
| ★礼拝説教要約