2012年 10月 10日
9月30日早朝礼拝説教要約 |
「主の思い」(マルコ5章21~34節)
牧師 紺野真和
イエス様の周りに大勢の人々がいた時、会堂管理者ヤイロがやって来て、娘が死にそうなので来て下さるように願った。すぐにイエス様は向かった。大勢の人々も一緒であった。その時12年間長血を患っていた女性が人々の間からそっとイエス様の着物に触った。するとイエス様は立ち止まり振り返り「誰がわたしの着物に触ったのですか」と言われた。弟子たちは群衆が押し迫っているのですから、「探すのは無理です」と言った。しかしイエス様は探された。どのくらい時間がたったのか、女性はもう隠せないと思い出て来た。どうしてイエス様はこの急いでいる状況でこの女性と会おうとされたのか。それは彼女に「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」(34)と伝えたかったからである。イエス様は彼女に「娘よ」と語られた。この女性は現代では考えられないが、病のゆえに人々に阻害され孤独であった。家族からも避けられていたかもしれない。その女性に親が子供に親愛の情をこめて語る娘よと語られた。イエス様は、ご自分にとって大切な存在であると伝えたかったのである。またイエス様は「あなたの信仰があなたを直したのです」と語られた。彼女の信仰はどのようなものであったか。彼女はイエス様のことをほとんど知らなかったであろう。医者に見離されたので、藁にもすがる思いで来たのだろう。しかしイエス様は彼女の信仰を評価された。このことばは彼女にとって励ましだったであろう。更に安心して帰りなさい。と言われた。安心とは平安という意味である。これは困難の中でも神様から来る平安である。イエス様は彼女の人生の上に、神様の平安があるようにと祈られたのである。イエス様はこの心を彼女に伝えたかった。
牧師 紺野真和
イエス様の周りに大勢の人々がいた時、会堂管理者ヤイロがやって来て、娘が死にそうなので来て下さるように願った。すぐにイエス様は向かった。大勢の人々も一緒であった。その時12年間長血を患っていた女性が人々の間からそっとイエス様の着物に触った。するとイエス様は立ち止まり振り返り「誰がわたしの着物に触ったのですか」と言われた。弟子たちは群衆が押し迫っているのですから、「探すのは無理です」と言った。しかしイエス様は探された。どのくらい時間がたったのか、女性はもう隠せないと思い出て来た。どうしてイエス様はこの急いでいる状況でこの女性と会おうとされたのか。それは彼女に「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」(34)と伝えたかったからである。イエス様は彼女に「娘よ」と語られた。この女性は現代では考えられないが、病のゆえに人々に阻害され孤独であった。家族からも避けられていたかもしれない。その女性に親が子供に親愛の情をこめて語る娘よと語られた。イエス様は、ご自分にとって大切な存在であると伝えたかったのである。またイエス様は「あなたの信仰があなたを直したのです」と語られた。彼女の信仰はどのようなものであったか。彼女はイエス様のことをほとんど知らなかったであろう。医者に見離されたので、藁にもすがる思いで来たのだろう。しかしイエス様は彼女の信仰を評価された。このことばは彼女にとって励ましだったであろう。更に安心して帰りなさい。と言われた。安心とは平安という意味である。これは困難の中でも神様から来る平安である。イエス様は彼女の人生の上に、神様の平安があるようにと祈られたのである。イエス様はこの心を彼女に伝えたかった。
by ybible63
| 2012-10-10 08:31
| ★礼拝説教要約