2012年 10月 02日
9月23日説教要旨 |
~先主日(召天者記念)礼拝メッセージ~
「道であるキリスト」(ヨハネ14章1~7節)
牧師 紺野真和
人間にとってもっとも恐ろしく、不安なものは死である。そのために人間は死を真直ぐに見ることをしない。しかし死は誰にでも必ず訪れるものなので、死について学び、良い備えをする必要がある。上智大学の名誉教授のデーケン先生は死と向き合う事、死の準備教育が大切であると語る。そして著書の中で死に直面した人がたどる六段階の心理的プロセスを紹介している。その最後は「期待と希望」である。死後のいのちを信じる人が、最後まで希望に満ちた明るい態度をとると記されている。
それでは聖書は死についてなんと語っているか。聖書は死をタブー視せず、人が死としっかりと向き合うように語る。そして肉体の死以上に深刻な永遠の死があることを語る。永遠の死とは、私たちを造り愛しておられる神様との永遠の分離であり、天国に入れないという事である。この永遠の死の原因は人間の罪の結果である。「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)とある。しかし永遠の死に定められた私たちを救うために神のひとり子であるイエス様は2000年前にこの地上に来られた。イエス様は、十字架に架かる前夜、最後の晩餐の時に大切な事を弟子たちに語られた。「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」イエス様はわたし自身が道であると語られた。これまでの歴史の中で、道を紹介する人はいたし、また道を求めた人もいた。しかしご自分が道であると語られたのは、イエス様ただひとりである。イエス様は人間の罪のために十字架に架かり、罪の解決をしてくださり、天国への道となってくださった。天と地の唯一の道となられた。そのイエス様を受けとめ、人生最大の試練の時も希望と期待を持つ者とさせていただこう。
「道であるキリスト」(ヨハネ14章1~7節)
牧師 紺野真和
人間にとってもっとも恐ろしく、不安なものは死である。そのために人間は死を真直ぐに見ることをしない。しかし死は誰にでも必ず訪れるものなので、死について学び、良い備えをする必要がある。上智大学の名誉教授のデーケン先生は死と向き合う事、死の準備教育が大切であると語る。そして著書の中で死に直面した人がたどる六段階の心理的プロセスを紹介している。その最後は「期待と希望」である。死後のいのちを信じる人が、最後まで希望に満ちた明るい態度をとると記されている。
それでは聖書は死についてなんと語っているか。聖書は死をタブー視せず、人が死としっかりと向き合うように語る。そして肉体の死以上に深刻な永遠の死があることを語る。永遠の死とは、私たちを造り愛しておられる神様との永遠の分離であり、天国に入れないという事である。この永遠の死の原因は人間の罪の結果である。「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)とある。しかし永遠の死に定められた私たちを救うために神のひとり子であるイエス様は2000年前にこの地上に来られた。イエス様は、十字架に架かる前夜、最後の晩餐の時に大切な事を弟子たちに語られた。「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」イエス様はわたし自身が道であると語られた。これまでの歴史の中で、道を紹介する人はいたし、また道を求めた人もいた。しかしご自分が道であると語られたのは、イエス様ただひとりである。イエス様は人間の罪のために十字架に架かり、罪の解決をしてくださり、天国への道となってくださった。天と地の唯一の道となられた。そのイエス様を受けとめ、人生最大の試練の時も希望と期待を持つ者とさせていただこう。
by ybible63
| 2012-10-02 06:25
| ★礼拝説教要約