2012年 09月 25日
9月16日礼拝説教 |
モーセの目が見ていたもの <申命記34:1~12>
牧師 鳥居 完次
申命記最後は、モーセの死に関する章である。このときモーセは120歳であったが、「彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」<7>。では、モーセの目が見ていたものは何か。
1.肉眼で見る約束の地の全貌<1~3>。ピスガの頂きに登ったモーセに、主は約束の地の全貌を見せられた。しかし、モーセはそこに渡って行くことはできなかった。彼の正直な気持ちはその地へ渡って行きたかったが、主は「もう十分だ」と言われた<3:26>。大いなる逆説である。つまり、モーセは約束の地の祝福を既に十分味わうことができていた。即ちモーセは、約束の地の祝福全貌を先取りして見ていた(見せられていた)ということである。
2.霊的目で見る約束の地の全貌。モーセには「神の律法」の代表者としての立場があった。しかし、律法は人を真の神の安息に導き入れることはできなかった。それ故、モーセはその働きを後継者ヨシュアに託した。しかし、それはあくまでもこの地上の一時的な安息であり、神が与える真の安息ではなかった。その意味では、その働きは真のヨシュアにバトンタッチされる必要があった。旧約(ヘブル語でヨシュア)から新約(ギリシャ語ではイエス)への移行(大転換)である。即ち、イエス・キリストによる十字架と復活によってもたらされる、罪と死からの完全な解放(死の恐怖の奴隷の地から、真の安息の地への移住)である。モーセは神の救いのご計画の全貌を見ていた。確かに、肉眼の目は衰えていく(モーセは特別であった)が、霊的な目は日々新たにされていく約束がある(モーセはその実証)。私たちも信仰の目で、救いの御計画の全貌をはっきりと見据えていく者とさせていただきたい。
牧師 鳥居 完次
申命記最後は、モーセの死に関する章である。このときモーセは120歳であったが、「彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」<7>。では、モーセの目が見ていたものは何か。
1.肉眼で見る約束の地の全貌<1~3>。ピスガの頂きに登ったモーセに、主は約束の地の全貌を見せられた。しかし、モーセはそこに渡って行くことはできなかった。彼の正直な気持ちはその地へ渡って行きたかったが、主は「もう十分だ」と言われた<3:26>。大いなる逆説である。つまり、モーセは約束の地の祝福を既に十分味わうことができていた。即ちモーセは、約束の地の祝福全貌を先取りして見ていた(見せられていた)ということである。
2.霊的目で見る約束の地の全貌。モーセには「神の律法」の代表者としての立場があった。しかし、律法は人を真の神の安息に導き入れることはできなかった。それ故、モーセはその働きを後継者ヨシュアに託した。しかし、それはあくまでもこの地上の一時的な安息であり、神が与える真の安息ではなかった。その意味では、その働きは真のヨシュアにバトンタッチされる必要があった。旧約(ヘブル語でヨシュア)から新約(ギリシャ語ではイエス)への移行(大転換)である。即ち、イエス・キリストによる十字架と復活によってもたらされる、罪と死からの完全な解放(死の恐怖の奴隷の地から、真の安息の地への移住)である。モーセは神の救いのご計画の全貌を見ていた。確かに、肉眼の目は衰えていく(モーセは特別であった)が、霊的な目は日々新たにされていく約束がある(モーセはその実証)。私たちも信仰の目で、救いの御計画の全貌をはっきりと見据えていく者とさせていただきたい。
by ybible63
| 2012-09-25 14:48
| ★礼拝説教要約