2012年 09月 18日
9月9日説教 |
永遠の神は、住む家<申命記33:26~29>
牧師 鳥居 完次
モーセは民に「しあわせなイスラエルよ」と呼びかけた。これは、今日のキリスト者にも適用される。私たちの人生で「真のしあわせ」を決定づける根拠は何か。<27>に尽きる。
1.永遠の神ご自身は、私たちが今この世において住む家である。本来私たち人間がこの世に創造されたとき、その家は内に神ご自身が住まわれる特別仕様であった。しかし、人は与えられた自由意志により、この家を飛び出したことによって(罪)、永遠のいのちを失った。しかしながら神は、救い主イエス・キリストの十字架と復活の贖いのみわざを通して、私たちのこの地上の住まいとしての幕屋の中に、神のいのちを宿すことができる祝福を回復させてくださった。とは言え、この地上の幕屋は時間の経過によってついに壊れてしまうが。
2.永遠の神ご自身は、私たちがこの世の生涯を終わった後において住む家でもある。この地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物がある。それは、人の手によらない天にある永遠の家である<Ⅱコリ5:1>。確かに神は、その「永遠の腕」を差し伸べ、救い主イエス・キリストの十字架と復活によって、まさに最後の「敵」である死(死そのもの)に対して絶対的な勝利を与えてくださった<27>。そして、そのしるしとして、復活の主と同じ朽ちることのない栄光のからだとしての家を用意してくださっている。それこそ、この地上の「死」がもっている悲しみ、叫び、苦しみを貫き通し、この「死」そのものに完全に勝利してくださった復活の主のからだとしての家(「神の幕屋」)である<黙示録21:3~4>。私たちはこの神の約束を、この地上の幕屋の中でしっかりと受け止め、その実現を待ち望んで行きたい。
牧師 鳥居 完次
モーセは民に「しあわせなイスラエルよ」と呼びかけた。これは、今日のキリスト者にも適用される。私たちの人生で「真のしあわせ」を決定づける根拠は何か。<27>に尽きる。
1.永遠の神ご自身は、私たちが今この世において住む家である。本来私たち人間がこの世に創造されたとき、その家は内に神ご自身が住まわれる特別仕様であった。しかし、人は与えられた自由意志により、この家を飛び出したことによって(罪)、永遠のいのちを失った。しかしながら神は、救い主イエス・キリストの十字架と復活の贖いのみわざを通して、私たちのこの地上の住まいとしての幕屋の中に、神のいのちを宿すことができる祝福を回復させてくださった。とは言え、この地上の幕屋は時間の経過によってついに壊れてしまうが。
2.永遠の神ご自身は、私たちがこの世の生涯を終わった後において住む家でもある。この地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物がある。それは、人の手によらない天にある永遠の家である<Ⅱコリ5:1>。確かに神は、その「永遠の腕」を差し伸べ、救い主イエス・キリストの十字架と復活によって、まさに最後の「敵」である死(死そのもの)に対して絶対的な勝利を与えてくださった<27>。そして、そのしるしとして、復活の主と同じ朽ちることのない栄光のからだとしての家を用意してくださっている。それこそ、この地上の「死」がもっている悲しみ、叫び、苦しみを貫き通し、この「死」そのものに完全に勝利してくださった復活の主のからだとしての家(「神の幕屋」)である<黙示録21:3~4>。私たちはこの神の約束を、この地上の幕屋の中でしっかりと受け止め、その実現を待ち望んで行きたい。
by ybible63
| 2012-09-18 11:41
| ★礼拝説教要約