2012年 09月 05日
8月26日説教 |
~先主日礼拝メッセージ~
「へりくだる者へ」(マタイ18章1~4節)
牧師 紺野真和
弟子達は天の御国では誰が一番偉いのかと論じ合っていた。この時彼らはどのような思いであったのか。少し前の記事にイエス様がペテロとヤコブとヨハネを連れて山に登られたとある。恐らくこの時、他の弟子達は選ばれた三人を妬み、三人は優越感に浸っていたのであろう。彼らは妬みと優越感の思いに駆られて、自分達の内で誰が偉いのかと論じ合っていたのだろう。弟子達には他の弟子よりも優位に立ちたいという思いがあった。このことが表面化するのはこの後二回ある(マルコ10章35節以降、ルカ22章24節)。弟子達はすべてを捨ててイエス様に従うほど熱心であったが、彼らは弟子達の間で一番になりたいという野心に満ちていた。
しかしこのような思いは弟子達に限られたものではない。私達は弟子達のように露骨ではないが、自分を他の人より上に置きたいために、人の劣っているところを探し出すことがある。また、他の人に良く見られたい、ちっぽけな存在であると見られたくないために、自分の事を誇張することがある。私達も弟子達と同じような心の闇がある。
イエス様はこのような弟子達に「子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です」と言われた。他の箇所には「あなたがたの中で一番小さいものが一番偉いのです」とある。一番小さい者であることを受け止めたくない私達はどのようにして、イエス様が言われた者となることができるのか。それは神様の十字架の恵みに圧倒されて、神様の御前にへりくだる事を通してである。神様の御前にへりくだる者が、人々の間でもへりくだることができる。興味深い事に弟子達がランク争いしている三回の記事の直前には、必ずイエス様の十字架の話がある。その意味を悟らなかった彼らが高慢になって行ったのである。
「へりくだる者へ」(マタイ18章1~4節)
牧師 紺野真和
弟子達は天の御国では誰が一番偉いのかと論じ合っていた。この時彼らはどのような思いであったのか。少し前の記事にイエス様がペテロとヤコブとヨハネを連れて山に登られたとある。恐らくこの時、他の弟子達は選ばれた三人を妬み、三人は優越感に浸っていたのであろう。彼らは妬みと優越感の思いに駆られて、自分達の内で誰が偉いのかと論じ合っていたのだろう。弟子達には他の弟子よりも優位に立ちたいという思いがあった。このことが表面化するのはこの後二回ある(マルコ10章35節以降、ルカ22章24節)。弟子達はすべてを捨ててイエス様に従うほど熱心であったが、彼らは弟子達の間で一番になりたいという野心に満ちていた。
しかしこのような思いは弟子達に限られたものではない。私達は弟子達のように露骨ではないが、自分を他の人より上に置きたいために、人の劣っているところを探し出すことがある。また、他の人に良く見られたい、ちっぽけな存在であると見られたくないために、自分の事を誇張することがある。私達も弟子達と同じような心の闇がある。
イエス様はこのような弟子達に「子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です」と言われた。他の箇所には「あなたがたの中で一番小さいものが一番偉いのです」とある。一番小さい者であることを受け止めたくない私達はどのようにして、イエス様が言われた者となることができるのか。それは神様の十字架の恵みに圧倒されて、神様の御前にへりくだる事を通してである。神様の御前にへりくだる者が、人々の間でもへりくだることができる。興味深い事に弟子達がランク争いしている三回の記事の直前には、必ずイエス様の十字架の話がある。その意味を悟らなかった彼らが高慢になって行ったのである。
by ybible63
| 2012-09-05 09:02
| ★礼拝説教要約