2011年 08月 01日
主にあって今が一番 |
牧師 鳥居 完次
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」
伝道者の書3章11節
下条の牧師館に引越しをして、10ヶ月余が過ぎました。それとともに、自転車あるいは徒歩で東原の教会に通うことが多くなり、これまで気づかなかった新たな発見、味わったことのなかった経験をしています。
霞城公園の桜はこれまで何回か見ておりましたが、霞城公園を毎日のように通るようになり、今年は初めてその満開の日を確認し、実感することができました。その時の興奮と感激を何人かの方に語ったのもつかの間、あっという間に花見の盛りが過ぎてしまいました。「本当に花のいのちは短く、はかないものなのだなあ」としみじみと思いつつ、その後も何のことなくいつものように霞城公園の桜並木を通っておりました。ところが、ある日、ふと桜並木を見上げると透き通るような若葉の緑に圧倒されました。そしてその後も、そこを通るたびごとに桜並木に目を留めることが多くなりました。すると、更に驚くことを発見しました。当たり前のことですが、桜の表情は毎日少しずつ変化していくことです。きらきら透き通るように光っていた緑の若葉は、いつの間にか濃い緑になり、今は更に濃くて厚くて大きな緑の葉になっています。これからの猛暑に向けて、格好の木陰を私たちに提供してくれるために備えているのでしょうか。もちろん、その後も季節の変化に従って、その葉は色づき、落葉していくのでしょう。そこで、分ったのです。「霞城公園の桜は、霞城公園の桜として、いつも今が最高、今が一番素晴らしい」と言うことです。
私たちは、ともすると自分を他の人と比べたり、あるいは又自分自身の人生を他の時期と比べたりして、一喜一憂してしまいます。しかし、がっかりすることはないのです。主にあって生かされている私たち一人一人は、それこそ主にあって「いつも今が最高、今が一番素晴らしい」のです。
by ybible63
| 2011-08-01 17:12
| ★読み物